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禁じ手設定を解除すること。

土曜の夜の振り返り。には違いないんやけど、今回は〈土曜の夜にルーティーン的に行っている振り返り絡みの雑記〉ではなく〈土曜の夜に行ったチョットした決断_から更に少し遡りつつ_を振り返る雑記〉。

NEMOの庭園大阪レクチャー_たぶんタイトルが微妙に違っているがだいたいそんな感じのイベント_に参加してきた。
それが直接のきっかけです。とか言うたんでは他人に責任なすりつけているみたいで何かいきなり卑怯な感じですが、実際のところ私は、軽率な割には臆病、誠実を旨としているクセに卑怯というナンギな人間なんだから仕方がない。ある種の大義名分というか、少なくとも〈それ〉のせいにできるきっかけがないと、やりたいこともできなかったりするんであり。

「主人をシツコク誘わないでください」
初対面の女性からいきなりコワい顔でそう言われ戸惑った経験がある。何のことはない。たまにBar_その店もうないけど_で見かけるおっさんが飲みに行きたいとき、奥さんに電話でテキトーな出まかせを言っておりましたという、さして珍しくもない以上に面白くない話だ。シツコクも何も、その人物を誘った覚えなど一度もなかったんだが……。

さて、レクチャー内容の詳細をここに書くのはルール違反なのでとりあえず2本のタイトルと講師の源氏名のみ紹介。
☆「タットワ幻視の実践」by Carmina Cum Veritate
☆「実践カバラ入門」Hierose Phoenix

毎朝ZENメディテーションの真似事のようなこと_公案は使用しないのでヴィパッサナーと言った方が近いかも知らん_をしているんですが、そこで涌いてくる妄念というのかいらんことは<流す>のが基本。
しかし、意に反してなかな流れてくれない焦り、問題_またはその解決の糸口_を発見したという軽い興奮etc.
それらにフォーカスし、更に観察したり、関連するヴィジョンを得ようとすることを、私はここ何年か《禁じ手》としていたのですが、考えてみれば、それに何の意味があるのか。意味がないだけならまだしも、似非ストイックな自分を良しとする似非自己肯定感を育てていたとしたら酷くマズイ気がして、イベントには、そのあたりを自分なりにある程度整理した上で臨んだ。

レクチャーは2本とも、上記の「フォーカスし、更に観察したり、関連するヴィジョンを得ようとする」技法に関連するものでした。

ということで、禁じ手設定を解除。
あんたらのせいや。

ヘッダ画像は、件のイベント_仏教思想の勉強会ではありません_に参加するにあたり整理しときたかったことを確認する為に読んだ三冊。

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