見出し画像

百薬の長はしきりに笑う

 プリントアウトした原稿をざっと読み返してみたところ、気に入らなかったので単語単位で切り刻みバラバラにしてみた。
 バラした単語たちは、筆者である私の意向を無視してあちこちに小グループをつくりながら勝手にくっつき、いくつかのフレーズを形成していった。そのうちの一つは

 百薬の長/は/しきりに/笑う
というもので。意味はわからないが面白い。と、私は思った。
「そんなことで済ませてしまっていいのかな」
 性別不明の声が言った。姿は見当たらない。 
 何が言いたいんだこいつ。良い悪い以前に、私はそれで済ますとも済まさないとも決めていない。
「リアルのシーンを、見てみたくはないか」
 意味はわからないが面白い。と、私は思った。そして、見れるものなら見てみたい旨を伝えると
「では、目を閉じて」
 言われた通りにすると、ものの二、三秒経つか経たないうちに
「もういいよ。開けてごらん」
 言われた通りにすると、そこはホテルのバンケットルームを小ぶりにしたような部屋で、高い天井には大仰なシャンデリアが吊るされ、フロアには大きな丸テーブルが五つか六つ。各テーブルをそれぞれ五、六人が囲むかたちで、総勢三十人あまりの老若男女が一同に会し宴が始まっていた。
 テーブル中央の大皿に盛られた料理を、青年たちがトングなどを巧みに使って取り分ける。各テーブルに一人ずついる小さな子ども以外の参加者は、笑顔でギアマンの器に満たされた酒を酌み交わしている。
 少し退屈になってきたのか、奇声を上げながら隣りのテーブルの方へ駆け出す子どもを、大人が軽く嗜め。そのやりとりを見ていた一群から、また新たな笑い声が漏れる。
「どうだ、しきりに笑ってるだろう」
 みんな楽しそうですね。
「そう見えるのか。だが、人間は誰一人笑っていない」
 もう一度よく見ると、子どもたちを除く全員が笑顔ではなく、笑顔の面を被っている。じゃあ、あの笑い声は? 思った途端、声がした。
「耳を澄ましてみろ」
 言われた通りにすると、笑い声のような音はこの部屋にある全ての酒器の中から起こっているのがわかった。そして、私は静かに澄んだ水面のような気持ちになり、大人たちが被っている笑顔の面を透かして素顔を見ることができた。確かに、誰一人笑ってはいない。
 その時、仮面の一団の中の一人が立ち上がり、シャンデリアに向かって手をかざす。途端にあかりが消えて、場内は真っ暗に。なるかと思ったら、天井を透過して満天の星々が現れた。
 星あかりの下、シャンデリアに向かい手をかざした人が被っている面は、裏返しだった。なぜ? 思った途端、声がした。
「ネモだよ」
 ?
「お面をローマ字で綴り、逆に読んでみたまえ」

 流れ星が見えたような気がした。
 

#ほろ酔い文学

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,922件

#ほろ酔い文学

6,056件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?