見出し画像

喫緊の/中長期的

 11月19日(土)の《振り返り》に関連して。

 長い目で見れば免疫力の低下につながるかも知れないけど、とりあえず今スグやらないといけない感染予防もしくは入室/館/場/国許可を得るためにできることを優先し・・・。みたいな判断を迫られるのは日常茶飯事だし、ここ2、3年は特にそういう人多いんじゃないか。
 けどこれ、切羽詰まってるときは仕方ないにしても、喫緊のナントカと中長期的カントカを同時に視野に入れつつ取るべき行動を選択判断するに越したことはない訳で。このへん何と言うか、例えば家計で言うなら、当面必要な金子をどうやって工面するかにあくせくするばかりで、中長期的にどうやって生計を立てるかについてはハナから考える気がない、てなハイパー無頼イメージとなる。
 生物としての自分の生理や、根拠の怪しい恐怖や猜疑心、微妙なコモンセンスなどの奴隷状態のままでいるのは確かに悲しい。自分で禁句などを設定し、禁を犯した場合は自分で自分に懲罰じゃない、神経系にゴムパッチンなどで痛みの信号を届ける式のトレーニングなんかもある。でも、それを行なったからといって、生理的欲求や思い込み、フィジカル/メンタルの癖etc.から完全に自由になれる訳じゃない。でも、やってみた感じをベースとして、そこから類推できる領域は確実に拡がると言える。

 先日、うかっと道に迷った。迷ったんやけど、迷ったことに気づいても、緊張感や危機感などまるでなく、迷ってもたなハハハハハと5連譜符で笑うなど、Googleマップを開きさえすればそれで済むと思っているから実にお気楽。でも、あれ? スマホのバッテリーが残り少ない。てか、切れちゃったよ。さあ困った。が、すぐに、あ、こっちかと思う方へ。これがぜんぜん違った。記憶の中のランドスケエプに酷使した光景を持つが、まったく別の地区で。私は3時間彷徨うことに。
 私は、もともと方向音痴を自認している者ですが、今回改めて自覚することになった方位感覚だか体内コンパスだかの壊れっぷりは半端なく。どうしたものか、煎茶志ほ万でメイヤスーのテクスト中に、ヒントを探している。
 泥粋和尚なら、
「無限の外へ出よ!」
か。


余談:三木雄信『なぜあの人は中学英語で世界のトップを説得できるのか』を読んで思ったのは、「中学英語をしっかりやろう」ということだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?