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円盤と宇宙


 似たタイトルの雑誌があった気いするけど。珍しく前倒しになった、土曜の夜の振り返り関連雑記です。

「占星術師またはある程度星まわりが読める人らによると、水星逆行_実際に逆行する訳ではなく地球人視点にそう映るだけ_期間中は、外との交信には不具合が出やすいが、振り返りとか自分を見つめる的な作業には、むしろ好機やとか」
とツイートした翌日ですが、この機に乗じて。

(1)《好き/嫌い》について


 という見出しを立てて早速AIアシスタントβ版をためしてみたところ、次のような提案をいただいたんですが、、、、、

個人の嗜好によって大きく異なります。そこで、好き嫌いの表現を避け、それぞれの人が感じる「印象」や「感覚」にフォーカスした記事を考えてみましょう。例えば、手触りや香りなど、その好き嫌いに至った理由を掘り下げていくと面白いかもしれません。2. 日本の文化における「好き嫌い」について考える。現代の日本において、欧米のように自由に好き嫌いを表現することはあまり一般的ではありません。そこで、日本人が好き嫌いを表現する際のスタイルや、自己主張の方法について分析し、異文化理解を促すような記事を作成してみましょう。3. 好き嫌いを越える「出会いの可能性」について。もしも、何かを好き嫌いせずに、人と物を受け止めることができたら、どんな出会いが待っているのでしょうか?このようなアプローチで、好き嫌いにとらわれずに新しいものを発見する方法について語りましょう。4. SNSの利用における「好き嫌い」について。SNS上には、好き嫌いを投稿する機能がありますが、それが人々のコミュニケーションにどのような影響を与えているのでしょうか?投稿される好き嫌いの内容から、その人物の人格を推し量ることができるのか?など、SNSにおける好き嫌いについて掘り下げた記事を考えてみましょう。5. 「好き嫌い」を超えて学ぶ能力の視点から。人が好き嫌いを言う時、その感情、、、、、、、、

 ですが、私が書きたかったのはそういう話でもなく、次のような経緯があってのこと。
 即ち、自分を見つめるてどういうこと? 自分の価値観とか倫理観。なんて言い出すと辛気臭くなる気がしたので、まずは単純に《好き/嫌い》について自問してみた。みたんですが、
 ネガティブな感情を不用意にネット空間に放ってしまうと、結果的に世界をネガティブな方向へ引っ張ることになるので、ポジティブな感情をこそアウトプットするべき。といった意見があることは知っているが、実は私の場合、下手に《好き》ばかりネット空間にアウトプットすることには抵抗があったりする。
 何でかというと、それに反応した各種リコメンド情報に触れたとき、果たして私は、自らの物欲をうまく制御できるかイマイチ自信が持てない。後先考えず次々に気になる商品をポチってしまい、気がついたときには大散財しているんではないかという不安が常にどこかにあるんで、それ、結構難しい訳です。
 ということで、天邪鬼なアウトプットを少しだけ。
 ↓
 私が苦手なもの:
(職業人視点)アニメの音声トラックからそのままテキストを起こしたような会話文等アニヲタ的感性による産物。
(趣味人視点)洒落っ気やアソビがまったくなく息苦しい感じや同調圧力としてのユーモアを駆使する本格派等鈍重なるもの。
(生活者視点)高い割に不味かったりスグ駄目になったりするもの。
(修行者視点)誰も得しない説教。

(2)《癒し》または《赦し》について


 自分にとって《癒し》または《赦し》とは? やや壮大過ぎるかも知れないテーマ設定だが、一貫した関心事でもある。
 何年か前に視聴した下記の動画コンテンツは、ジャズミュージシャンとジャズ批評家がジョン・コルトレーンを語るという内容ですが、私はジャズファンに限らずいろんな人にすすめまくった。お忙しい方は、とりあえず後半だけでも、ぜひ。
 かいつまんで言うと《円盤が迎えに来なかった人》としてのコルトレーンが語られており。迎えに来た円盤によって《宇宙へ》_無限の外へ?_行っちゃうことは素晴らしい《癒し》であり《赦し》なのでは? という話です。
 さて、私の場合ですが、《宇宙》まっしぐらという生き方は、やはり難しい。コピーライターにしろ日本語教師にしろ、完全に《行っちゃった人》扱いされたのでは仕事もらいにくいだろうから_もちろん、私が勝手にそう思い込んでいる部分もあるでしょう_、どうやら私は、他の食い扶持を見つけない限り《癒し》とも《赦し》とも無縁なようです。あるいは、そんな顔をして生きていくしかない。と、現時点では思っています。




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