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積読本に心、乱れる

積読本がたくさんあるのに、また本を買ってしまった。

積読本は、読みたいから買った本が積まれている状態なのだ。だから、どれも読みたい、直ぐ読みたい、早く読みたいと思うのだ。そこで、せっせと本を読む。

本を読むのは速くないらしいことにようやく気がついた。速い人は10分は言い過ぎだが、1時間ほどで1冊読むという。それ、無理!ちょっとした小説でも半日くらいかかる。ましてや難解な論文や、大河小説になるといつ読了するか不明だ。

本を読みつつ、ふと目を向けると、膨大な本が読まれるのを待っている。分かっているんだ、分かっているけど、今はこの本を読んでいるんだと言い聞かせる。

積読になる本は、現在進行形で読んでいる本があるにもかかわらず、本屋さんで、或いは書評で見つけた本が、どうしても読みたくて仕方がない気持ちになって買ってしまった本なのだ。だから、あれもこれも知りたい、読みたいという欲求、業の結果なのだ。だから、読んでいる途中で、積読の中の別の本を手に取ってしまう。

そうすると、途中まで読んだ本が再び積読になり、手つかずの大量の積読本があり、今数冊読んでいる状態になる。

だからと言って、本を読む時間がそれほど多く取れない。仕事をしていることもある。だから、あれも読みたい、これも読みたいという、底なしの欲望と読書ペースが遅いこととのはざ間で焦りまくるのだ。

読書する集中力が落ちてきている。心の底から没頭できなくなっている気もする。たまさかに、読みだすと止まらなくて、読み終えたら夜中だったということもある。それに気をよくして、その作家の別の本を買ってくる。読みたい、読んでいる本が数冊ある。更に読書中の本を読むと、どれかがストップしてしまう。

本は腐るものではないし、いつかは読める。買わなければ、二度とその本には出合えなくなることもある。だから、積読でも買うことに意味がある。そう自己正当化するのだ。本は決して浪費ではないという主張がされる。そう言われると、そんな気になって、さらに積読が増えていく。それが繰り返された結果、本の置き場所が増加する。最初は書棚に収まっていたものが、床の上、ダイニングテーブルの上、パソコンデスク、プリンター台。時折、雪崩れも発生する。

目的を持って、読むことが大切だ。小説の世界に没頭する、ストレス発散のための読書。何かを得るための実用的な書物の読書。まれには、文章を味わいたいがために、一字一句丁寧に読みたい本も出てくる。こういう本は読み通すのに、驚くほど時間が掛かる。

積読に悩みが尽きない。ともかく読書に没頭できる時間を確保して、読書しよう。そして、今日もまた積読が増えた。アイン・ランド著「水源」である。大物だな。

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