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鉄棒

 幼稚園年長の時、体力測定の種目に『鉄棒ぶら下がり』というものがあった。その名の通り、鉄棒にどのくらいぶら下がっていられるかを測るものなのだが、幼稚園生の記録は早い子は数秒、長くても2〜3分といったところだろうか。
 そんな中、特段運動ができるわけでもない私だが、ぶら下がった瞬間からなぜか永遠にぶら下がっていられる気がした。理由はわからない。でもなぜかそう思ったのだ。
 周りの子供達はやはり早々に手を離し、先生に駆け寄り、次の種目へと移動していく。
それを横目にぶら下がり続ける私。
やがて私以外のみんなは居なくなった。
私はまだまだ余裕がある。何も辛くないのだ。
自分の限界に挑戦したいと思うが、まだ限界は当分訪れそうにない。
 しかし、私はだんだん不安になってきた。果たしてこんなに長い時間ぶら下がっていてもいいのだろうか?
 先生も最初は「がんばれ!すごい!」と声を掛けていてくれたが、言葉数が明らかに少なくなってきた。まさかこんなにぶら下がるとは思っていなかったのだろう。これ以上ぶら下がり続けて先生に迷惑をかけないだろうか?限界はまだまだ先だ。でも…、いや…、でも…、と何度かの葛藤の後、私は鉄棒から手を離した。そしてさらさらの手を隠しながら「汗で手が滑っちゃった。」と言った。
 先生は笑顔で「よく頑張ったね。」と私の頭を撫で、16分48秒と記録用紙に書き込んだ。
 もし私があの時自ら手を離していなければ、今もぶら下がり続けていたかもしれない…なんて事はないが、なんとなく大人の階段を少し登った気がした秋の日の出来事だ。

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