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CAたちの第2章 Vol.3

THE SHINMONZEN  石野翔子さん エミレーツ航空 
在職期間:2009-2011

翔子さんと私は米系法律事務所で知り合いました。当時、HR/MARKETINGとして、翔子さんの面接もいたしました。面談室のドアを開けた瞬間に心の中で採用は決めておりました。弁護士、スタッフと軽く1000は超えてお会いしていますが、面接は自身の直観が大切です。

翔子:これまでの接客のトレーニングで第一印象がどれほど影響を与えるかということを習って以来、面接では普段以上に声のトーンに気を付けたり明るくふるまうなど意識していましたね。Crew時代は、お客様の搭乗時にフレンドリーで優しい印象になるように気を付けていました。私は外見がきつく見られるのと声も低いので。毎日やっていると自然と身についてきました。

法律事務所時代、多くのクライアントから翔子さんの名前を憶えていただけたのは、才能であり財産だと思います。接客業が向いているのですね。退職届と共に、シャングリ・ラ ホテルに転職すると告げられた時は、柄にもなく涙してしまいました。ほかの人が退職届もってきても泣いたことないのよ!

翔子:五つ星ホテルで仕事をする知り合いがいたことから、ホテル業界にはずっと興味がありました。普通はホテルでの実務経験がないと入れてくれないのですが、適任者が見つからなかったようで、たまたま業界未経験の方を募集しておりラッキーでした。秘書という業務で入りましたが、シャングリ・ラ ホテルでは、どんな職種にも内部で応募しチャレンジできるということを聞いて、そこがすごく魅力的でした。AI時代で、秘書業務が永遠にあるかどうかも分からないといわれる時代、不安を感じていた年齢でもあったので。実際、自分から応募していないのに、営業部長から直々に営業へ誘われたり、人事部からトレーニングマネージャーはどうかと聞かれたこともあります。

『経験者』しか雇わない、という条件を外した方が良い人材に巡り会える機会が増えるのに、単なる履歴に拘る企業が多いのも事実です。法律事務所で秘書を募集すると、エージェントは法律事務所経験者もしくは秘書経験がある方ですか、とか秘書検定を持っている方ですかと聞いてきます。私はこだわらないと常に言っておりました。経験者が必ずしもマッチするとは限らないからです。例外はありましたが、新卒で入った会社に最低3年は勤務した方、最初の勤め先がしかるべき新人訓練をしているであろうと推察できることを書類審査では重要視しました。小さな組織であったため予め組織の中で訓練されている方だと、秘書未経験であっても仕事を覚えていただくのが早いし、順応できる確率が高いからです。翔子さんの場合は大学卒業後にメガバンクに就職している経験も非常に有効だったのではなでしょうか。          銀行を辞めてエミレーツに転職され、ドバイを拠点とするCREW生活を送った経歴が、国内航空会社の新卒採用出身の私にとっては興味深々です。

翔子:航空会社には昔から興味がありました。大学時代にJALのインターンシップに応募し、スイスのチューリッヒ空港でグランドスタッフの体験したこともあります。その時まだJALは破綻の兆しもなかったので、就職活動時は、JALの総合職を受けて最終まで行きましたが、だめでした。その後JALは破綻しました。銀行に就職してからも、やっぱり航空会社に興味があって、さらに海外に住みたくて、Crew職を受け始めました。国内航空う会社も受けましたが、外資はキャセイパシフィックかエミレーツが良いかなと何となく思っていました。理由は、世界中の隅々にまんべんなく飛べて、日本で面接があるメジャーな外資エアラインが、その2社だけだったからです。とにかく海外に住みたい、という思いが強かったです。まさかそれがドバイになるなんて、自分も家族もびっくりですが。

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元ナショナルフラッグの破綻というのはショッキングな事件でしたが、現場で働いている人間にとってはその兆しというのはジワジワと肌で感じていながら、抗う術もなかったのではないかなと感じます。運なんてわからないもので、その時受からなかったことがかえってよかったのかな。エミレーツの訓練はどのくらいの期間をかけて、どのように行われました?

翔子:全部で1ヶ月半ほどありました。初めはドバイの観光も兼ねて歴史を勉強して、アラブの伝統やイスラム教のことを教わりました。その後訓練のメインとなる安全教育です。モックアップという実物大模型のある施設で、機体から緊急脱出をして救命ボートに乗る体験クラスもありました。そのクラスの時、実際に水に飛び込んだ記憶があります。なぜだったかは忘れましたが、クラスとはいえ写真撮影をしてもよく、楽しかった記憶があります。
それ以外はひたすら座学の安全訓練で、特に私が苦労したのはメディカル訓練でした。市販薬のブランド名や、色々な医療用語が初耳でした。日本人以外はみな市販薬のブランドに馴染みがあるのですが、日本では日本メーカーが大半を占めるので、授業の初めから苦労しました。最後にチームビルディングとサービスやグルーミングの訓練です。

モックアップ研修は臨場感と目新しさがあり楽しいですよね。そこで救難訓練やミールサービスを学ぶわけですが、体を動かしながらの訓練は眠くならないし、笑顔が絶えなかった記憶があります。市販薬の話はおもしろいですね。日系だと当然搭載されているものは馴染みのあるメーカーなので、苦労は全くありませんでした。
エミレーツは乗員編成も国籍がまちまちで楽しそうですが、実際どうでしたか。

翔子:当時は120ヶ国以上のクルーがいました。様々な考えがあるので、時には対立してしまうこともあります。アジア人女性はよく働く印象で、助けられることも多かったです。また男性クルーもたくさんいるので、ムードメーカーになってくれる人が多く、雰囲気が和みます。入社試験時の心理テストのようなものである程度グループ分けして、フライトのチームが編成されていると聞いています。

心理テストでグループ分けというのが外資系らしい! JALでも私が1988年に入社する以前より香港ベースのクルーがおり、その後、シンガポール、ロンドンベースの乗務員を入ってきましたが、ロンドンベースには数名の男性スチュワードがおり、ムードメーカーになっておりました。時に「やり過ぎ&やりたい放題」なアナウンスをかまし過ぎて、上からは苦笑いされていたのを思い出しました。
エミレーツで働く一番の魅力は何でしたか。

翔子:世界中に飛べることですね。日本人クルーも当時2-300人はいたので、日本路線にあたることは希望しても数ヵ月に1回程度。その代わり、普段の生活では行かないような就航先にもばんばん飛べます。

普段の生活で行かない就航先とは具体的にどこですか。

翔子:アラブの春の動きが沸々と広まりつつあったチュニジアは素敵でした。ただアラブ人はいろいろな場面でふっかけてくるので、それが残念ですね(笑)。また、治安がよくないと有名なヨハネスブルグは、都会と大自然の両方があって、守られている地区内は、整備されていて気候が最高に良くて大好きです。ガーナ、ブラジルのサンパウロ、バングラデシュのダッカも行きました。アフリカの男性のお客様は「結婚してくれ」が一言目の挨拶のようなもので、こちらは「Are you rich?」と返したりしてジョークで盛り上がりました。中国の広州は何度も飛んでおり、トロピカルな気候が魅力的で大好きになってしまいました。UKだけでも数都市いきましたし、インド洋の貴婦人とよばれるモーリシャス島では、外国人クルーがみんな日焼けをしたがって、結果、1日でやけど状態になって、その後ドバイまでのフライとでは、皆まっかっかで仕事をしました。

路線の幅がそれだけ広いと羨ましい!個人ではなかなか行けないところに、会社に守られて行けますものね。                   それに日本人だから日本路線という制限を敢えてしない。これこそ、Inclusion & Diversityね。                                                                    外国人男性はおもしろい方が多いですよね。イタリア人乗客に東京からニューヨークにつくまで、ずっと口説かれたことがあります(自慢?)。決して嫌な雰囲気にはならずパロディめいたやり取りが続き、到着地までの暇つぶしみたいな感じで、あっという間に13時間超が経ったのを思い出します。  私もグアムで日中、ビーチで甲羅干しをしながら寝入ってしまい、体の裏側が焦げてしまい、クルーシートに座ると痛くて大変な思いをしたことがあります。                                     中東系のエアラインはエティハド航空しか乗ったことがないのですが、サービスがきめ細かく洗練されており、また乗りたいと感じました。ハードの面だけでなく、ソフト面も力を入れていますよね。

翔子:ビジネスクラス、ファーストクラスではハイレベルのサービスが求められるので、相応の訓練があります。エコノミーでも、お食事の説明を丁寧にするなどの教育があります。お客様を喜ばせることが大事ですが、一方でたとえばお酒の提供は、飲みすぎでアグレッシブになる危険がみられるお客様に対しては、提供の仕方にステップがありました。本当に色々な国籍と性格のお客様がいるので、安全とサービスのバランスをとって、柔軟な対応が大事でしたね。

機内でのお酒のトラブルは年々ひどくなるようで、最近では機内アナウンスでアルコールサービス提供前に注意喚起があるエアラインも多くみられます。                                   そんな楽しそうな日々に別れを告げたきっかけは何でしょう。

翔子:当時、婚約者がいたので遠距離は難しいと感じました。その頃、ちょうどステイのないフライトがたくさん入って、体もしんどいな、と感じていたので。結局結婚には至らなかったのですが。

あら、そんな事情があったのね。まあ、人生はなるようにしかならないからおもしろい! あー、私もそんな恋焦がれる日々があったっけ。         法律事務所を経てホテル業界に身を置き、それまでの経験がどのように生かされていますか。また、今から思えば勉強しておけばよかったこととかがあれば教えてください。

翔子:ホテルとはいえ、バックオフィスなので、これまでの銀行やローファームでのオフィスワークの経験が活かされました。むしろホテルの方が、細かい指示などがないので、これまでの事務経験がないと難しかったと思います。あとは、エミレーツでこれまで接したことのない国籍や性格の人(お客様もクルーも)に対応してきて、神経が図太くなったことは、かなり役立っています(笑)。シャングリ・ラ ホテルではボスがイタリア人で、感情を思い切り表に出す人だったので、周りに心配されていましたが、今では元ボスとはとてもいい友人関係です。常に実践あるのみなので、実践しながら勉強です!


素敵な関係が保ててよかったですね。現職場であるTHE SHINMONZENは、コロナの影響で開業が遅れてしますが、これからが楽しみですね。昨年京都を訪れた際、偶然にも数歩先に宿をとっていて、内装が完了していない中を見学させていただきました。

翔子:今年の9月頃には再オープンを予定して準備中です。レストラン工事が未完了のため、具体的な日にちは検討中です。

ロゼワイン薫るホテルの魅力を語ってください。翔子さんは、主にどういう役割を担うのですか。https://theshinmonzen.com/jp/

翔子: 安藤忠雄建築で、南仏プロヴァンスにあるヴィラ・ラ・コストというホテル兼ワイナリーが姉妹ホテルです。新門前通という骨董通りにあるのですが、美術館のように、アイルランド人オーナーが好きなもの、こだわりのアートを至るところに飾っておりますが、そのほとんどが現代アートです。京都のアーティストの杉本博司さん、名和晃平さんの作品もあります。何よりも祇園白川に面した立地なので、バルコニーで過ごす時間が本当に気持ち良いです。ラグジュアリーかつシンプルモダンがテーマのお部屋は、自分のお家に帰ってきたような心地よさを感じてもらえる宿です。

祇園の風情を楽しめる静かで無駄なものがなにひとつない、素敵な空間です。オープンしたら泊まりに行きます!                   ついでながら、元ボスのシャングリ・ラのイタリアンシェフのお店、Stars`n Cacio Kyotoについても教えてください。インスタもフォローしていますが、何しろ働いている人が楽しそう。

翔子:元シャングリ・ラ ホテル東京やブルガリミラノの総料理長が作る、カジュアルなキッチン&バーで、お食事だけではなくライフスタイルを提供するお店です。シェフのアンドレアが趣味で描いたアートも飾っていたり、お店のインテリアや壁の落書きまで、彼の抜群のセンスが活かされていて、他にはない雰囲気が楽しいです!お料理は、五つ星ホテルの技を、カジュアルにしたイタリアンやバーガー、ティラミス、カクテルまで、言うまでもなく絶品です!

エッグベネディクトがおいしそう!どうしても食べたい。           最後に、もともと関西出身の翔子さんですが、京都での生活は新しい刺激を与えていると思います。ドバイ、東京、京都と居を移して、何を一番感じますか。これからの夢を語ってください。

翔子:京都はさすが歴史があるので、探求すればするほど奥が深くて、毎日飽きることがないです。自然と都会がコンパクトになっていることも気に入っていて、ドバイにも東京にもない魅力ですね。でもこの先も、もっと色々な場所に滞在したり住んでみたいですね。これからも旅に関連した仕事がしたいです。旅やステイを提案する立場でどんな仕事ができるか、今模索中です。今はオフィスにいなくとも仕事ができる時代になってきているので、自由なスタイルで仕事をずっと続けることが夢ですね。

翔子さんは非常に洗練されており、とても魅力的な方です。ご自身の持って生まれた才能に磨きをかけてさらに飛躍するでしょう。楽しみです。

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