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サウナは毎日違うねって話

サウナライフ社会人編in旭川

4月に引っ越しまして、慣れない環境や覚えきれない仕事をなんとか乗りこなして早1ヶ月半。何店舗かサウナを周り、なんとなくお気に入りもできつつあります。

やっぱり生活の中である程度心身ともに負担がかかる状況の方がサウナは輝きますね。
落差というか、コントラストというか、より有難い存在に変わります。
日々、目まぐるしく仕事をしているとどうしても時間が自分自身を追い越してしまいます。過ぎた日々を振り返ることなくまた次の連勤はやってきてしまいます。
それは必ずしも悪いことではありません。健全な労働は健全な肉体にのみ宿ります。忙しさは幸せの中の充実感のコップを少しは満たしてくれます。

サウナはそんな瞬間の自分を鏡越しに振り返るためにも大切な時間です。

そう考えると、自分にとっては娯楽ではないのかも。
”楽しめている”うちは余裕があるときで、大抵はサウナに行かないとやってられない時に行くサウナが自分にとってはほとんど。少し極端だけど、目の前の食事を味わって食べていないというか、食わないと死ぬから食べている感じ。流石にそう考えると勿体無いか。でもあながちほんとにそんな感じ。

それもあって、同じサウナに行っても感じ方は違うし、求めるものも違う。

最近はサウナ室、水風呂、休憩スペースや椅子以外のサウナを構成する要素の方が大切な気がしてならない。

たとえば、明日予定とか。仕事なのか明日休みなのか、明後日まで休みなのかとか。この後食べるご飯とか、その日の仕事の調子とか。同じタイミングで一緒になった人のマナーが気持ち良かったりだとか。そんなことの方がよっぽど大切な気がしてます。そう思うと尚更、行き過ぎたマナーの強要はずれてるなぁと思っちゃう。迷惑かけてたらダメだけどね。その施設にあるもの(お客さんを含め)以外で自分の中でサウナを楽しめる理由が増えたら、素敵じゃんね。



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