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IMJものがたり3 根っこの考え

 IMJを経営するにあたって、私の次のように考えていた。

 IMJを100年200年と存続するグッド・カンパニーにしたいという思いの中で、私が100年も社長として並走できるかというと、とても無理。

 必然的に私はどこかのタイミングで後継者にバトンを渡すことになる。

 英国の宗教詩人による詩の一小節に、
「天空に大きな円を描きなさい。その円はあなたの代で完成することはできないかもしれない。でもあなたはその円の弧になることができる。」

 まさしく、100年企業の円弧の一部として経営を任せてもらっているのだという感覚。

 私が経営したのは創業5年目から15年目まで。藤本前社長が産み落としたIMJの「育ての親」として、5歳から15歳までの親になったイメージ。幼稚園から中学卒業までの大切な時だ。

 あなたが親ならどういう風に、この時期の子育ての方針を立てるだろう?

 私はIMJが大きく成長するために、                  多くの人と接点を持ってもらいたい                  多くの仲間を増やしていきたい                    勝ち負けどちらも多くの経験を積んでもらいたい            可能性の芽をつまずに、あらゆるチャンスに取り組みたい   

 そして、全力でIMJとその社員に愛情を注ごうと思っていた。    

 もちろん、死んでは元も子もないから、倒産だけは絶対に避けないといけないが、多少のケガは多めに見よう。そのためにケガしても大丈夫な(倒産しない)資金体力だけは確保しておこうと。   

 そうした基礎体力や経験値を大きくし、愛情に満たされていれば、   きっと将来自分で進路をみつけて、立派な大人(企業)に育っていくだろうと思っていた。

 いわば、多少コントロールが悪くても150kmの速球を投げる地肩と馬力をつけておこうと思ったのだ。

 当時のメンバーなら、「あぁ、なるほど。あの事業進出は、そういう意図もあったのね」と理解してもらえることも多いはず(笑)。

 ネットの世界は半年ごとに新しい技術やサービスが生まれ、ライバルは世界のあちこちから出現してくる。そんなネット黎明期で最終的に勝ち残っていくためには、私ひとりの考えで動く組織ではなく、スキルがスキルを生む力(非認知能力)を持つ組織にならないとダメだと思っていた。

 なので、IMJがクリエイティブを軸にしていくのか、システム開発や分析を軸にしていくのか、子育てで言うと理系に進むのか文系に進むのかは、私の何代か後の社長が20歳を超えてから意思決定すればよいと思っていた。

 私が退任してから10年、人で言うと25歳。            結果は、現経営陣の加藤圭介くんたちが立ち上げたマーケティング・テクノロジー・ラボが大きく成長し、広告代理店系と組まずに、コンサルティング系のアクセンチュアグループに入り、世界有数のデジタルエージェンシー・グループを形成するようになったのは嬉しい限り。

 IMJは理系に進んだんだね、って微笑ましく今も見ている。

 


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