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IMJものがたり44 理屈は感情にしてやられる〜ある家族の物語〜

 IT業界をあっと驚かせるX社との経営統合。
 お互いの強みを活かし、弱みを補填でき、私と先方の経営者との相性も良い。
 仮に経営統合すれば、売上500〜600億円、経常利益20億円〜30億円、時価総額は1000億円を狙えるポジションに躍り出る。

 先方は創業経営者なので株式の大半を握っており、彼がOKすれば先方の株主総会は通過できるだろう。

つまり、この経営統合が成功するかどうかの鍵を握るのは、IMJの大株主であるCCC増田宗昭社長だ。

 私と増田さんの年齢は一回り違う12歳差、干支は同じウサギ。
血液型も同じAB 型。大企業の社長なのに、夏はジーンズとTシャツで仕事をするカッコイイ経営者。パワポを使ったプレゼンテーションは、明るい未来を予見させ、聞く人をワクワク感でいっぱいにする。

NHKプロフェッショナルに出演された時の最後のセリフ
「仕事は、好きなヤツと、好きなことを、好きなようにやる」
今の私の生き方にかなり影響を与えた言葉だ。

私にとっては師匠であり、目標であり、年の離れた兄のような存在。
私がこんなに好きだったので、増田さんも私のことを可愛がってくれた。
増田さんとは相性が良かったのだと思う。

今回の経営統合が実現すると、CCCが保有するIMJの持ち株比率は25%くらいまで低下し、CCCの連結対象から外れ、持分法適用会社になる。

ある意味、居心地の良いCCCグループから離れ、独立してIT業界の荒波を渡っていく覚悟がいる。

理屈では、IMJの次の成長のためには必要な戦略だと思いながら、感情ではもう少し増田さんと一緒に仕事がしたいと思っている。

増田さんもCCCのネット戦略のためにIMJが必要だという理屈と、
秘蔵っ子の樫野を近くに置いておこうという感情の両方あったのではないだろうか。

大株主の増田さんとの話し合いは、そうした思いが交錯し、
なかなか前に進まなかった。

私は、この理屈と感情の折り合いをどうつけるか考え、
パワポを作成し、増田さんと話すことにした。

この資料には、数字もグラフも表もひとつもない。
およそ経営者同士が話し合う資料とは言えない
「ある家族の物語」を私は想いを込めてプレゼンした。


ある家族の物語

1982年、ある街に男の子が生まれました。

男の子の名前は達也と名づけられました。
元気で、利発で、近所でも評判の子供だったようです。

その後、達也6歳の1988年10月には次男の巧が、
達也7歳の1989年12月には、三男の廉太郎が生まれました。
タイプこそ違う3兄弟ですが、お互いの良さを補いあって、
ケンカをすると3人で近所の悪ガキを蹴散らしていたようです。

それから楽しい毎日が過ぎていきましたが、
1995年、達也が中学校に入る13歳の時に事件が起こります。

達也が突然、アメリカに留学したいと言い出したのです。
それまで英語が得意だったわけでも無いのに、憧れと持ち前のガッツで、
達也は受験を突破し、一人でアメリカに渡ることになったのです。


家族はびっくり。達也のことももちろん心配ですが、
家族の元気の素だった達也がいなくなることで、
父さん母さんや弟の巧や廉太郎も不安で一杯になりました。


それからの5年は達也にとっても悪戦苦闘の日々だったと聞きますが、
その中学・高校5年間の留学経験は、かけがえのない経験であり、
達也がより大きく成長する
キッカケになったのも事実です。

そして1999年2月、達也は日本に帰ってきました。

17歳の冬のことです。

帰国して早々、またしても達也は周囲を驚かせます。
アメリカで付き合っていた女性と結婚すると言い出しました。
7月には赤ちゃんまで生まれると言うのです。
回りがどう反対しようが、すると言いだしたら周囲の意見を聞かない達也は、国際結婚を押し通しました。

そして、めでたく1999年7月に、待望の長男・徹が生まれたのです。

子供が出来て、下宿では手狭になった達也は、
年の瀬も押し迫った12月、新居を渋谷の一等地に構えます。

年が明け、2000年3月、無事に日本の高校も卒業し、
4月から晴れて社会人の仲間入りをし、ビジネスという新たな冒険に
突入していくことになるのです。

2000年から2005年までの5年間の達也の仕事は順風満帆。
時には失敗することもありましたが、持ち前の明るさと人望で、
達也はどんどん成長していきました。

しかし・・・・。
またしても家族に衝撃が走ります。
達也がアメリカ時代にお世話になっていたディジーおじさんが
交通事故で無くなり、
そのディジーおじさんの3人の息子(ハリー、ケープ、ジム)が
身寄りが無くなって困っているので、引き取って育てると言い出したのです。

ハリーは13歳の中学6年生、ケープは11才の小学5年生、
ジムはまだ9歳の小学3年生でした。
達也、23歳の秋のことです。

この時、息子の徹は6歳、日米のハーフなので多少の英語も出来たので、
英語しか話せないハリー、ケープ、ジムの3人と年が近いこともあり、
仲良くなりましたが、
家族の皆は、達也の独断に違和感を持っていたのも事実です。

それから2年、同じ屋根の下に住むと、
気持ちも通じ合ってくるのが、人間の良いところ。
血はいろいろですが、なんとなく達也を中心に、
愉快なファミリーが形成されつつありました。

ハリーは、長男だけあって学業優秀、将来は学者か先生になりたいという
夢を持っていました。

ケープは、堅実派、周囲の信頼も厚く、ビジネスの世界で成功しそうな気配です。


末っ子のジムは、勉強はそんなに得意ではありませんが発育は良く、
既に背丈はハリーやケープを越えて、一番の身長です。
また、どこか危なっかしい存在なのですが、将来の夢は松井や松坂のように
メジャーリーガーになる!とか、ハリウッドで映画プロデューサーとして大成功する!なんてことを真顔で話し、時々見せる才能と恵まれた体格で「ひょっとしたらなるかも?」と家族に感じさせる人気者でした。

寺内貫太郎一家のようなドタバタな日々が過ぎていた2007年9月のことです。
この年、達也25歳、ジム11歳の出来事です。
ジムが、中学からアメリカに武者修行に出たいと言い出したのです。
家族の意見は真っ二つ。賛成派、反対派に別れての大議論。
家族が離れて暮らす寂しさを何度も味わっている達也は、一緒に暮らすことをガンとして譲りません。特に世話になったディジーおじさんとの約束で、「立派に3人兄弟を育てると約束した」ので、手元を離すなんてもってのほかだったのです。

それから何度も何度も話し合いは続きました。
そして、最後に達也の背中を押したのは、ジムの一言です。
「達也おじさんだって、中学校からアメリカに飛び出したんでしょ?
僕も達也おじさんのように、もっとBIGになりたいんだ。
アメリカで揉まれて、強くなりたいんだ。お願いだから、行かせてよ。
どこにいたって、家族だし、僕は一生、達也ファミリーの一員のつもりなんだから!!」

達也は覚悟を決めました。
そして、気持ち良く送り出してやろうと思いました。
かつて、仰木監督が野茂を 伊東監督が松坂をメジャーリーグに送り出したように。
 「オマエの気持ちはわかった。俺もそういう時期があったし、
何より、あの5年間が俺にとっての財産になってるのも事実だ。
かなりオマエの性格を考えると、大丈夫か?と不安だけど(笑)、
ここは思い切って大海に放り出してやる。
絶対、泳ぎきれよ。そして、びっくりするくらい大きくなって帰って来いよ!」

ジムは涙が止まりませんでした。
この恩返しは、きっときっと3倍にも4倍にもして返そうと心に誓いました。
 
兄貴二人は笑ってます。しょうがないヤツだなぁって。

だけど、それがジムの良さでもあることをわかっているので、
それ以上は何も言わず、ただ無事の帰還を祈るばかりでした。 
 
年が明けて2008年。
ジムは旅立ちました。
大きな夢をカバン一杯に詰め込んで。
 
次に会うときは、きっとジムは一人の立派な大人になって、
帰ってくるに違いありません。
意外と早く、アメリカで一旗挙げて、有名になってるかもしれません。

その日が来るまで、見守り続けてください!!

それから4年後の2011年、
世の中は、地上波アナログ停波で大きな転換期を迎えていた・・・

ジムが達也のもとに帰ってきました!
それも見違えるほど、立派に成長して。
背丈は達也を越えるくらいに大きくなっています。
本当の勝負が始まるこの大事なときに、
ジムはそれに立ち向かうだけの力と仲間を連れて、戻ってきたのです。
達也は4年前を思い起こし、
「あの時、思い切って決断してよかった。やっぱり人と人をつなぐのは、
心だな」と。そうです。達也一家は資本連結された家族ではなく、
今までになかったような「ハート連結された」一家へと生まれ変わったのです。
 
                    おしまい

 勘の良い方ならお気づきだと思うが、
これはCCCグループ各社を擬人化した物語。

達也はツタヤ、巧はTCM(旧アダムス)、廉太郎はレントラック、
達也のアメリカ留学は、増田さんがディレクTVを立ち上げた話、
徹は、TOL、つまりツタヤオンライン。
ハリーは、デジタルハリウッド、ケープはデジタルスケープ、
そしてジムはIMJである。


私のプレゼンが終わったあと、
増田さんは少し微笑んで
「わかった」と私に告げた。

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リクルート、福岡ドーム、メディアファクトリーを経て、映画プロデューサー、ベンチャー経営者、政治家、作家に。