IMJものがたり10〜19(本編)
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IMJものがたり10〜19(本編)

かしのたかひと

10 右脳系人材と左脳系人材をつなぐ鍵は?

 横尾忠則さんの建築物はデザインはカッコイイけど、使いづらく、住みにくいという話を聞いたことがある。その真偽はともかく、デザインと機能性の両立、アートとテクノロジーの融合はウェブサイトにおいてもとても重要な課題だ。
 ヒューマンインターフェイスは人の気持ちを動かすには欠かせない一方で、ユーザビリティが悪かったり、それを支えるシステムが追い付いてなければ0.3秒で離脱される。

 フロントエンドのインターフェイスを司るのがウェブデザイナー、バックエンドのシステムを司るのがシステムエンジニア。この2つの職種、ざくっと言ってしまうと右脳系と左脳系。課題に対する捉え方や解決のためのアプローチも真逆。どちらが正しいとかではないが、折り合いがつかないことが多いのだ。
ネット系企業でなくとも、営業部門と技術部門とか、制作部門と販売部門とか異なる部署で利害が対立することは多々あるが、部門間対立以上に、そもそもの思考パターンが違うので仲があまりよろしくない(笑)。

 さて、2009年のIMJ。クリエイティブを統括していた役員は梶野さん。この梶野さんに学んだことは「クエリエイティブを論理的にも語れる」ところ。
我々一般人は「カッコイイ」とか「クール」とか「なんか好き」とか感じるが、どうしてそう感じるのか、どういう要素・仕掛けが心を動かしているのか、まではわからない。梶野さんは、その背景やロジックをわかりやすく説明してくれるので、顧客に対しての説得力がまるで違う。「グランメゾン東京」のように料理やワインのウンチクをソムリエが語ってくれると、その美味しさやありがたみが倍増するのと同じと言える。
 「どうしてIMJが構築したモスバーガーサイトのハンバーガーが同業他社から話題になるほど、美味しそうに見えるのか? それは、出来上がったハンバーガーを撮影したのではなく、バンズ、ハンバーグ、レタス、玉ねぎなどを別々に撮影し、シズル感が出るように陰影を付けながら合成したからです」
 この手間ヒマかけた制作に、関わった人の汗と物語を感じるわけである。
 後に作ったIMJのクレドに「同業他社を唸らせるハイクオリティの実現」と私が綴ったのは、このモスバーガー秘話がもととなっている。

 もう1人、システム部門の統括役員が自衛隊出身の逸見さん。
 自衛隊出身だけあって守りは強固、バックエンドを任せるにふさわしい(笑)。
 社長になりたての私との面談では、
「樫野さんも僕らを見てると思うけど、僕らも樫野さんを見てますから」
と宣戦布告とも言える言葉をもらった。5歳の子ども(創業5年)の父親(社長)になったばかりの私が、父としてふさわしい男か、きちんと家族を引っ張っていくことができるかどうかをチェックするという。社長に向かってそんな率直な物言いはなかなか出来るものではなく、逆に私は逸見さんを信用できる人だと感じた。逸見さんが私を名実共にIMJの社長として認めてくれるようになれば、IMJは本当の意味で一つになると思ったのだ。

 そんな個性的な役員に囲まれて幸せな環境ではあるのだが、だからと言ってスムーズに物事が進むわけではない(笑)。いつも喧々諤々の議論になる。正解が見えない、わからない新しいネットビジネスで、みんなが100%確実な意思決定は少なく、最後は社長の私が決めなければならない。その時に大切なのは、私の決断を信じてもらえるか、自分の意見と違う方針になっても、決まったあとはチームとして決まった方向に全力をあげて頑張れるかだ。
 そこは人間、感情が左右する。タイプが違っても、お互いにリスペクトする気持ちがあり、好感を持っていれば、「しゃーない。あいつが言うから協力しよか」「多少納得いかない部分はあるけど、チームのためにグッと飲み込むか」のような友情と信頼のベースが組織に必要だ。
 このように、異なるタイプの職種のコラボレーションの鍵は、とてもアナログで昔ながらの「友情」だと私は考えていた。プロフェッショナルの集まりによるドライな人間関係で、離職率3割という同業他社を横目に、IMJは「ウェットで、結びつきの強い家族的な会社」を目指していく。そして、それを実現するために「おもろいこと」をたくさん組織に埋め込んでいくことになる。
 

11 ムードメーカーは誰だ?

 前号で「ウェットで、結びつきの強い家族的な会社を目指す」と書いたが、元々の社風に私自身が馴染むまでに、それなりの苦労もあった。
 まずは社員みんなの顔と名前を覚えなければならない。それにとっつきにくい社長だと思われたくないので、自らフランクにアプローチしようと心がけていた。
 社長室のドアはいつでも開けておくので、何でも相談に来ていいよと宣言。毎週1回は数名の社員をランダムに誘って一緒にランチを食べた。
2000年当時、IMJが入居していた恵比寿ガーデンプレイスはそれなりのステイタスのあるオフィスビルだったので、スーツ姿のビジネスマンがほとんど。フリースやジーンズ、スリッパを履いているのはIMJの社員くらいだったので、エレベーター内でもIMJの社員らしき人には「おはよう」と声をかけた。時々、全く関係ない人にまで声をかけてしまって胡散臭く見られたり、新手のナンパのように思われたこともある(笑)。

 「ガンプラ・コンテストを会議室でやってるから見にきてくださいよ」と総務マネジャーの初山さんから誘われて見に行くのだが、ガンダム世代じゃないので良さがさっぱりわからないし、そもそもなぜ会社の会議室にガンプラが並んでいるんだ?と思ったり(笑)。

 また、とても動きの早いものと動きの遅いものを定点観測するという目的で(?)、オフィスにリスとイグアナを飼っていた。確か、リスはケーブルを食いちぎってしまって飼うのを止め、イグアナは残念ながら一匹は死んでしまった。ディレクターの戸田さんが世話をしていたもう一匹のイグアナがフロアを歩いている姿を見かることもあったし、プロジェクトの納品時期にはそこらじゅう寝袋で寝ている社員がたくさんいた。

 夜11時、帰宅して風呂に入ろうとしていたらメンバーからの電話。
 「かしのさん、みんなでカラオケにいるんですけど、今から来てくださいよ」
 さすがに断ろうと思ったが、せっかく誘ってくれたので頑張って参加。駆け付け三杯、一曲歌わされた後は、延々夜中の3時まで付き合わされ、最後に「社長、ご馳走様でーす」とおごらされたりした(笑)。

 社員総会の懇親会で、私の誕生日をサプライズで祝ってくれたときは、デザイナーの平賀さんと清水さんがミニスカポリスに扮し、私を逮捕するという演出付き。ベンチャー企業らしい風通しの良さがあった。

 こんなこともあった。社長就任3ヶ月の決算で予算を1億円も上回る利益が出たと年末に経理から報告があり、社員の頑張りにキチンと報いる報酬制度に改定。4月から新人事制度に移行するとともに、特別ボーナスを全員に支給すると発表した。その直後、経理から「すいません、あの数字は間違いでした。そこまで利益は出ていません」
 一瞬青ざめたが、やっぱり制度を元に戻しますとはさすがに言えない。固定費が大幅アップした状態で今期予算を頑張るしかない状況にいきなり追い込まれてしまった。
 このリカバーをしてくれた神風とも言える受注が、故・桜井くんのトヨタ案件、新卒入社し執行役員までなった広田和也くんの東京電力案件だったが、今回は仕事の詳細は割愛する。

そんな中で、重宝し、感謝していたのがムードメーカーの存在。古くは巨人の中畑清、阪神→日本ハムの新庄剛志、今ならソフトバンク(侍ジャパン)の松田宣浩のような人材だ。単に仕事のパフォーマンスだけではない、チーム力をアップしてくれるムードメーカーは絶対必要。IMJにも姉御的存在で仕切りが抜群に上手かった制作マネジャーの栗栖さんやディレクターの小高さん、人事の吉田恵子さん、セクレタリーチームのアイドル(ボスキャラ?)の吉田ひとみさんなど女性陣は多士済々だった。
 男性ではウッチーと村田くんに企画してもらった7周年パーティが忘れられない。
その後、村田くんは構成作家になると言って退職し、ウッチーはテレビ東京のBBQチャンピオンになっていたから、その方面の才能があったのだと思う。彼ら2人の貢献度はかなり大きいと私は思う。

 その7周年パーティ(社長就任2年目)は、ビットバレーと呼ばれた渋谷でもなく、IT系のメッカ六本木でもなく、鶯谷の古びたキャバレーを貸し切って行われた。私を含めた取締役4人がそれぞれ社員を楽しませる企画を考え、披露し、社員の審査を受けるというもの。
私は秘書の中澤まぁとコンビを組んで「ザ・ベストテン」の再現。歌自慢の社員をアサインし、追っかけレポート風の事前収録なども交えて、なかなかの出来栄えだった。
 ところが優勝をかっさらったのは管理系役員の森竹さん。効果音の使い方なども上手かったが、何より森竹さんのイタリアンっぽい(メキシコっぽい?)顔立ちに加え、白髪、ひげのメイク、演技も抜群だったように記憶している。この森竹さんの暑苦しい、粘着質キャラクターは、パーティに限らず、深夜に菓子パンやチョコレートを食べながら各フロアを周り、声をかけ、メンバーをケアしてくれた。
 こうした愉快な社風を守りつつ、ビジネスとして緩い部分は変えていきながら、チームIMJは本格的に株式上場に向けて進んでいったのである。

 
12 コンペ予算の10倍の見積もりって、有りor無し?

 もうひとつ、株式上場前の忘れられないプロジェクトが某衛星放送のお仕事。
 ホームページのリニュアル案件で予算は500万円、5社コンペになった。
 その衛星放送企業の社長とは、私が福岡ドームの仕事をしている時にダイエーホークスの放映権を年間一括で契約した間柄だった。
実はこの時、増田宗昭社長率いるディレクTVも立ち上がったばかりで、ホークスの放映権を買いに来られたが、私はその申し出を断っていた。IMJ社長になる際に、その件を増田さんに話し、一言お詫びしたのを覚えている。

 そういう縁があったので、某社長と私はコンペ前に会食をすることになった。
話題になったのは会員管理のコストについて。約200万人の会員に毎月番組情報を掲載したチラシを送付しており、その郵送費だけで月に1億5000万円、年間18億円もかかっている。さらに、視聴番組を変更するためのコールセンターの費用も億単位。なのに、9時から17時までしか受け付けていないので、会員からのクレームが多くて困っているというのだ。
 
 「それをネットに移行していきましょう。ネットなら24時間365日番組変更を受けられるし、メールによる一斉送信すればコストは10分の1どころか、100分の1になるかもしれませんよ」

今なら当たり前の話だが、まだまだ紙の時代。ましてやネットを使いこなしている人も若い人中心だから、いきなり全部移行するのは難しい。しばらくは併用していくしかないのでダブルコストになるわけである。

2000年当時は、ホームページは「会社パンフレットをネットに置き換えたもの」程度の認識の企業が多く、「経営課題を解決するツール」という捉え方をしている企業は少なかったのだ。

そして、コンペに臨んだIMJは他社が500万円以内の見積もりを出す中、10倍の5000万円もの見積もりで、将来の会員管理に繋がるような経営改題を解決するためのウェブリニュアルを提案し、見事受注した。
(金額などは多少不確かだが)

このプロジェクトでは、糟谷くんや久田くん、マドカくんや川越くんといった
独特の濃さの面々が(笑)立役者となって頑張ったので受注できたわけだが、
これに限らず、それぞれがインターネットというブルーオーシャンを独自の個性で切り開いていこうというエネルギーに満ちていた。
川越くんがデジタルステージ社と制作した「Life with PhotoCinema」は
グッドデザイン大賞金賞を受賞、まだガラケーしかない時代に写真を何枚か選ぶだけで簡単に映画の予告編のような動画が作れるソフトは画期的だった。
 セガから転職してきた糟谷くんはEC顧客市場の第一人者となり、長い間IMJを牽引した後、独立して経営者をしているようだし、同じくセガ組の久田くんは現在もIMJの役員としてコカコーラなどのクリエイティブ&マーケティングソリューションの顔となっている。
契約社員でスーパーエンジニアだったマドカくんには、何度も社員になるよう勧めたがその都度断られた(笑)。雇う・雇われるという堅苦しい関係を嫌い、会社と対等な関係でいたいという理由だったが、今思うと彼は働き方改革を先取りしていた。しかし決してドライではなく、困った時には何とかしてくれる私にとっては「頼りになるメンバー」の1人だった。
マドカくん、今どうしているのかなぁ? もしこれ読んだら連絡してください(笑)。


13  営業戦略としての業務提携

 IMJはどちらかというとモノづくり系(開発系)の会社なので、営業がめちゃくちゃ強いというわけではなかった。業務の内容を考えてもウェブサイトを構築し、サーバを預かり、24時間365日面倒を見ていく仕事なので、社内人材も狩猟派より農耕派が多かったように思う。

 その時の心強いパートナーがIT人材の派遣会社デジタルスケープだった。
 デジタルスケープは、藤本社長が率いるスパイラルスターグループにおいて、長男デジタルハリウッド、次男デジタルスケープ、三男IMJという間柄だった。 
 デジタルスケープは当時200社以上の顧客にIT人材を派遣していたので、「次はこんな大型リニュアルをする予定」とか、「こんな点が困っているので何とかならないか」という顧客ニーズが自然とIMJに飛び込んできた。
 見込み客を探し、「初めまして」からスタートして関係値を構築し、課題を聞き出すという営業リード部分をすっ飛ばして、解決策を提案するところから入れるので、こんなに効率の良い顧客獲得はなかった。しかもほとんどノーコンペ。デジタルスケープの顧客が増えれば増えるほど、IMJの見込み客も増えるという好循環が生まれた。

 もう一つ効果的だったのはJストリームとの業務提携。映像配信ソリューションを提供するJストリームは、当然のように動画配信の受け皿サイトを顧客から求められる。さらにその関連サイトの相談も数多い。
当時のJストリームの白石社長はリクルートの先輩だったので、業務提携の話はトントン拍子で進み、IMJから秋月くんがJストリームに出向し、同行営業をする形を取った。秋月くんの人当たりの良さや器用さ、統合・調整能力の高さが功を奏し、Jストリームからの案件獲得もバンバン増えていった。

 Jストリームにとっては、サイト構築という本業ではない面倒くさい業務をIMJに外注でき、IMJにとっては元リクルートの営業出身が多くいたJストリームが営業代理店のように案件を獲ってきてくれるというお互い旨味のある業務提携だったと思う。

2001年当時、IMJには従業員100名のうち専属営業は3人くらいしかいなかったと思うが、デジタルスケープやJストリームなどの外部パートナーには計400名以上もの強い営業マンがいて、IMJに案件を運んできてくれる体制ができていた。だからこそ、IMJの人員構成は質の向上に注力する人材シフトができたのだ。

ここで重要なことが一つ。こうした経営陣の戦略的な業務提携が全て上手くいくとは限らない。上記が成功したのは、どんな環境にも適応し着地点を見つけ出し成果を出してきた秋月くんや叶さんといった面々がいたからだ。

その後、2人はIMJが博報堂と資本提携した時にもハブとなって活躍してくれた。現在、2人とも博報堂グループに転職し、活躍しているのも自然な流れと言えるだろうか。
いずれにせよ、どんな戦略も最後はやっぱり「人」次第ってことかもしれない。


14 一業種一社制の壁をどうやって潜り抜けるか?

営業戦略上、厄介だったのが一業種一社制という縛りがある業界。一業種一社制というのは欧米の広告会社の広告取引上の原則で、1つの広告代理店が2つ以上の競合他社の広告を担当しないというルールのこと。例えばコカコーラを顧客に持つとペプシはやらないとか、トヨタを獲得すると日産が出来ないという感じ。我々はクライアントの新商品に関する情報や企業戦略を共有しながらサイト構築をするので、チャイニーズウォール(情報の壁)をしっかりしないとライバル企業に情報がダダ漏れになるからだ。

 日本においては一業種一社制は比較的緩く、金融業界などは「あの証券会社のウェブサイトをやっている企業」と噂になれば他の証券会社も「じゃ、安心なのでウチもお願いします」と同業界2社目3社目の受注が逆に獲得しやすいこともあった。
 
一方で、「IMJさん、ソニーさんをやってるんでしょ?だったらウチは無理ですね」と明確に断られたこともあるし、「私はIMJさんにお願いしたいのですが、上司がウンと言わないんですよ」と社内ルールでNGになっている企業もあった。

 この一業種一社制の壁を潜り抜けるためにIMJはグループ経営を進めた。例えばソニーはIMJが担当するが、パナソニックはグループ会社のユナイティアが受ける。精密機械業界NO1はIMJが担当し、NO2はイグジストインタラクティブが担当するといった具合に。グループ企業間で個々の企業情報は共有しないが、サイト構築ノウハウや最先端技術は社内に蓄積されていくのでグループ全体のナレッジが高まっていくという仕組みだ。
 そうした意図で、ウェブ系で7社、モバイル系で3社・・・というふうにIMJは連結23社のグループ企業となっていく。外部からは合併統合した方が効率的だという意見もあったが、あえて会社を分けたままにしておいたのはそういう理由だった。
 ただ、人事、経理、総務、広報などは基本的にIMJ本体だけに人材を配置して、グループ企業にシェアリングサービスをすることで管理業務コストをかなり抑えていた。が、上場してから四半期ごとの連結決算作業はグループが23社もあると本当に大変だったと思う。斉藤さん、中村さん、森竹さん、堀口さん、柳さんなど経理関係の皆さん、今更ですがご苦労様でした。ありがとうございました。もう遅いけど(笑)。

15 SMAPみたいなグループになろう

 
 グループ経営のメリットとしてもう一つ言えるのは、グループ企業社長のモチベーションだ。
コスト効率だけを考えて全社統合し、25社が25事業部になった場合、その責任者25人は「社長」ではなく、「事業部長」になる。どちらの役職を名乗る方がモチベーションは高いだろう? 答えは明白である。
 
 またよく言われるように、トップとNO.2番手の成長速度もかなり違う。トップとして全責任を持ち、意思決定を重ねることによる成長感は事業部長では提供しにくい。

 さらに日本は役職文化なので、同じ役職同志で集まる機会が多い。
社長は社長の会合、部長は部長の会合になる。週刊ダイヤモンドが運営していたダイヤモンド経営者クラブでも、年商500億円の社長と年商1億円の社長も同じ会員、同じパーティに同席する機会を持つことができる。つまり人脈を拡げるにも役職は上の方が何かと都合が良いのだ。

 「器が人を育てる」とはよく言ったもので、ちょっと大きめの器に置くことで人はそれに見合った人材に成長していく。IMJグループの人材育成という意味でも、少し早めに「社長」という器にして、それに見合った力を身につけてもらおうと思っていた。なぜなら私自身も力不足な状態で社長に就任し、アップアップしながら自らを成長させていった経験者だったからだ。

 このグループ戦略は副次効果を生んだ。
それぞれの会社は他のグループ企業を意識し、自然に自分たちの強みを明確にし、棲み分けていくようになる。
ある会社はE Cサイトに強い、ある会社は分析に強い、ある会社はクリエイティブを中心に据えるという具合に。
 これは、兄弟姉妹が「お兄ちゃんがそっちの方向に行くなら、私はこっちの方向で頑張る」みたいな特徴を見出していく様、言い換えると親に認めてもらう分野を探していくのに似ているかもしれない。
 普段は別行動を取って、独自性を発揮していい。大きな敵と戦う時はそれぞれの強みを活かして、協力して戦う。

このグループ方針を表現したのが「SMAPみたいなグループになろう」だった。
SMAPとして歌もバラエティもやるけれど、中居くんは単独で司会をやっていい、キムタクは映画やドラマをベースにしてもいい。草薙くんのように韓国進出してもいい。個の活動とグループとしての活動の幅を広く認め、推奨したのである。

 その結果、コンペでこんな現象が起きた。
ある5社コンペ、業界最大手のIMJには「一緒に組んでコンペに出ませんか?」という他社からの声が多くかかる。
グループ会社には「どこと組んでも自由だよ」というルールにしていたので、下記のようにライバル企業と組んでコンペに出る荒技も飛び出した(笑)(社名は仮イメージ)

1、IMJ
2、伊藤忠テクノソリューションズ+ミディシティ(IMJグループ)
3、電通+IMJネットワーク(IMJグループ)
4、メンバーズ+ユニークメデイア(IMJグループ)
5、ネットイヤー
 
見かけは5社コンペなのだが、そのうち4つにIMJグループが絡むので受注確率は8割(笑)。コンペ勝率8割を誇ったIMJのコンペの舞台裏には、こうしたグループの自由度の大きさもあった。

そして、インタラクティブ・エージェンシーNO.1を目指していく過程において、その方針は「緩やかな連邦制」というグループビジョンに進化していくことになる。

16 IT業界の電通になる!

 2020年5月21日の新聞に「サイバーエージェントが時価総額で電通を逆転」という記事が掲載された。

 日本の広告費は2019年にインターネットが初めてテレビを上回り、メディア首位の座を獲得したが、2020年は広告会社の時価総額でも逆転が起きる節目の年となった。

 2001年、38歳の私は雑誌の取材や社員総会で次のようにIMJのビジョンを語った。
「新聞の広告代理店として誕生した博報堂は 1895年(明治28年)創業です。
その6年後の1901年(明治34年)に電通が創業。1953年に新聞、雑誌、ラジオに次ぐ第4のメディアとして誕生したテレビの成長とともに         電通は博報堂を追い抜き、現在の地位を手にしていくわけです。
そして、21世紀。インターネット革命の変革をものにし、5番目に登場したネットメディアを征する企業が電通を抜き去る可能性がある・・・。
IMJはこのチャンスを掴み、IT業界の電通になる!」

たぶん、社員の誰も信じていなかっただろう。
実際、IMJはそうなれなかった(笑)。でも、私は本気だった。
そして、サイバーエージェントが(完全とは言えないまでも)、実現の入り口にたどり着いたのは事実だ。

メディア企業は、メディアの地殻変動が起こる時には「経営権を握る」という手法で、その変化を乗り切ってきた。
毎日新聞が毎日放送を、読売新聞が日本テレビを、朝日新聞が朝日放送をという具合に、オールドメディアがニューメディアを手掛け、大株主となり役員を送り込んできた。

ライブドア事件も、もとはと言えばニッポン放送というラジオ局がフジテレビの大株主であるという株式価値のねじれに目をつけた村上ファンドやホリエモンの買収劇だったことを覚えている人も多いだろう。

この買収劇の裏で動こうとしていたホワイトナイトを、実はかなり間近で見ていたので横道にそれて書きたいのだが、その話はまた今度(笑)。

これまでのメディアの変遷を考えると、テレビ局が本来はネットメディアを手がけ、主導権を握るはず(べき)だったが、そうはならなかった。資金力、制作力、政治力どれをとっても本気でテレビがネットをやっていれば、勝てただろうに、そうならなかったところに時代の転換点がある。本業とのカニバリ、テクノロジーなど様々な要因があると思うが、全部ひっくるめて経営判断の失敗と言える。

こうして新聞→ラジオ→テレビと系列化してきた流れが、初めてネットで分断された。そのブルーオーシャンに世界のIT企業が参入し、GAFAが牛耳る世界が訪れている。
国防について外交や軍事が語られることが多いが、私はデジタルプラットフォームやデータを牛耳られることの方が今は怖いと思っている。戦争による直接的な覇権争いではなく、いつの間にか全てを制覇されている丸裸状態に日本は置かれているのではないだろうか。
中国はGoogleを締め出し、アリババやテンセントなど中国独自のプラットフォームを維持しているが、日本はアメリカのプラットフォームにほとんど乗っている。GoogleやFacebookやインスタグラムが来月から月額100円の課金をすれば多くの人が支払わざるを得ないのではないか。仮に1億人が月100円払えば毎月100億円、年1200億円がアメリカの企業の収入になる。税金のように支払い続ける構造が出来つつあるところに危機感を感じるのだ。

私の古巣リクルートもある時点までは、Googleやヤフーのような存在になる可能性があったと思うが、それも叶わなかった。ミックスジュースやisizeなどの着手は遅くなかったし、優秀な人材もいた。情報誌事業とネットビジネスは本質が似ているので、事業の勘所も理解していたはず。そのチャンスをモノに出来なかったことはとても残念であるが、その原因については多くのリクルート関係者が語っているので私はあえてここには書かないことにする。

いずれにせよ、まだ売上7億円程度の企業規模だったが、2001年に私はIMJの目標を「IT業界の電通になる」と定め、旧来型の広告代理店ではなく、インタラクティブ・エージェンシーNO.1を目指すことにした。
その戦略を映画『スターウォーズ』になぞらえて、エピソード1からエピソード9まで9つのストーリーに分けて、事業戦略を構想し、最終フェーズのエピソード9で本気で電通を超えるつもりだったのだ。

17 業界NO.1宣言の意味

 いくつかの企業とアライアンスを組み、案件情報が集まる仕組みを構築する。一業種一社をかい潜るグループ営業体制を取ってコンペ勝率8割を実現する。なりふり構わず、とにかく案件獲得・売上・顧客数にこだわったのには2つの理由がある。

 一つは、「情報が集まる仕組み」を作るためだ。
 業界NO.1には自ずと良い情報が集まる。
例えば、ある企業が画期的な新規事業を構想している時、どこかの段階でパートナー企業にコスト見積もりや実現可能性についてヒアリングをする。そのヒアリング先は業界最大手になる場合が多い。何社かでコンソーシアムを組む場合も最初に声をかけるのは業界最大手からだ(業界2位や3位に資本系列の会社があれば話は別だが)。
そこで話が決まってしまうと、業界2位や3位には情報が届かない。選ぶ権利すらないのだ。
これは映画製作をしている時もそうだった。
ベストセラー作品を映画化する際に、同業他社に先に情報が行き、即決されるとウチの会社まで話は来ない。パートナーから良い条件を引き出すために何社にも声をかけコンペのようにする場合もあるが、ヒット間違いなしの企画の場合はあらかじめ「その仲間に入れてもらっているかどうか」で勝負が決まる。
地方自治体の仕事に例えるなら「随意契約」で話は決まっていくのだ。見せかけ上はコンペの体裁を取っても、実際は発注先と握っている「出来レース」がどんな仕事でも多いのは事実である。

だから、業界N0.1である必要があった。もっと言うと「業界NO.1を名乗れる」ことが重要だった。そんな指標がもともとあるわけはないので、一般的に納得感のある指標を自分たちで設定し、一位と言えるカテゴリーを決めることにしたのだ。

その設定とは、ウェブ制作(後にウェブインテグレーターと呼び替え)というカテゴリー(ネットビジネス業界のBtoBだと広すぎるし、システム構築を含むと一番ではなかった)において、顧客数、売上高、従業員数の3指標において一番になるというもの。

そして、「NO.1宣言しても大丈夫」と思える瞬間からホームページや会社パンフレット、講演会などで宣伝しまくった。合わせて新興業界に対して顧客への認識づけをするために、同業他社を引き合いに出した比較資料を作成し、「業界づくり」の作業も開始した。00業界の一部分を担う関連産業ではなく、その企業群が一つの業界を構成しているという位置付けを狙ったのである。

既に、先をいくアメリカでは、SIPS(Strategic Internet Professional Service)と呼ばれるレーザーフィッシュやマーチファースト、サイエントなどが巨額のベンチャー投資を受け、そのいくつかが日本支社を設立し始めていたので、その流れも利用させてもらった。
広告代理店の電通はマーチファーストと組み「電通マーチファースト」を設立、フロンテッジは「フロンテッジ・レーザーフィッシュ」を設立、そこにIMJ、ネットイヤー、メンバーズ、キノトロープ、オンザエッジ(後のライブドア)などが加わり、SIPS業界は形成されていったのだ。

もう一つの理由は、仕事の経験値だ。
業界も新しく、社員も若手がほとんど、ルールや技術革新は毎日のように変わっていく。ライバルも世界各国から毎年やってくる。まさに巨人軍のようにドラフトとフリーエージェントとトレードで優れた選手が毎年やってくるので、レギュラーでも安穏としていられない(最近はドラフトのくじ運も悪く、フリーエージェントも他球団に獲られているので、昔ほどではないが:笑)。

そうした状況を乗り切るにはメンバーの経験値を上げて、ひたすらスキルアップをし続けるしかない。間違った努力は意味がないが、正しい方向で数をこなすと「量が質を生む」を私は思っていた。

500万円のサイト構築しかしたことない人材には、1億円のサイト構築をする上でのリスクやボトルネック、注意点、プロジェクトメンバーのマネジメントについて、想像は出来ても実際にはわからない。
 この「数」と「規模」と「最先端」の経験値をとにかくアップすること、それが同業他社に勝ち抜く本質だと思っていた。

 メンバーにはかなり負荷をかけたと思うが、みんなその修羅場を経験し、IMJの力量はどんどん上がっていった。そして、それが次の仕事を呼び込み、さらに経験値が上がるという好循環を生み出す。

結果、IMJは名実共に業界NO.1の座を獲得する。
そして、予想していた通り、強い座組みから声がかかる。
EC市場を先行する楽天市場とはコンセプトを変えた「ブランドモール」を世に出したいという話だ。
コンソーシアム企業は、ソニー、ヤフー、無印良品、ナイキ、そしてIMJの5社。聞くだけで強そうだ(笑)。

しかし、このヤフースタイル、結果的には成功するには至らなかった。
強いコンソーシアムに加わることは重要だが、それだけで勝てるわけではないという勉強にもなったわけである。


18 PCとケータイの関係は、朝刊と夕刊?

 IMJは、ウェブ構築事業とは別に「エンタテイメントコンテンツ・サービス・プロバイダー(ESP)事業」というケータイをプラットフォームにした新規事業に着手していた。
 当時はまだ光回線は敷かれておらず、ADSLやらピーヒョロロの音を聞きながらネットを繋ぐ環境だったので、音楽や映画が普通にネットで見れる今から考えると隔世の感がある。
 エンタメコンテンツといっても、待ち受けや着メロ、占い、簡単なゲームの配信なのだが、iモードを筆頭に一大マーケットが出来つつあった。月額300円のサービスにケータイユーザーは群がり、細木数子さんの占いには100万人以上の会員がいたというから、それだけで月商3億円にもなる。
このiモードの仕掛け人として有名な松永真里さんは元リクルート「とらばーゆ」の編集長、現在ドワンゴの社長でテレビでもお馴染みの夏野剛さんもリクルートにいた時期もあり、現場を統括していた山口さんも元リクートだったので、ケータイ事業を進める環境は抜群に良かった。

このESP事業を引っ張っていたのが光山くん。事業センスも良く、光山くんよりも年上のメンバー含めて、よく事業部をまとめていた。ESP事業部は、その業界を牽引していたサイバードやインデックスには遅れを取っていたが、サミーネットワークスやeピクチャーズなどと協業を進め、徐々に会員数を増やしていった。大ヒットしていたポケモンには元リクルートの先輩後輩がたくさん転職していたこともあり、モバイルサイトの共同事業が獲得でき、大喜びしたものだ。
 さらに、守秘義務で名前が出せない超大物コンテンツも獲得でき、ESP事業の月額会員数も100万人を突破するまで成長する。ESP事業部には、後にテレビ東京のバーベキューチャンピオンになった内山くんや、電通サイエンスジャムの代表をしている神谷くん、星野リゾートで活躍している竹田さんなど、ウェブ事業とは少し違うユニークな人材が揃っていた。

その光山くんと電話で大喧嘩になったことがある。内容は忘れたが、「議論するのはいいけど、その言い方はあまりに失礼やろ!」と言葉の使い方に私がキレて「ガチャッ」と電話を切ったのだ(笑)。
 その後も怒りは収まらなかったが、帰宅したくらいに光山くんから電話がかかってきた。
 「さっきは言い過ぎました。すいません。お詫びしたいので今から家に伺っていいですか?」
 時間は午後10時頃。私もゆっくりしたいし、家族もこの時間の客人は迷惑。断ろうかと思ったが、電話で言い争いになり、社長に一方的に電話を切られたら、さすがに明日会うまで気になって眠れないかもしれないと思い直し、「ええよ」と返事をした。

妻には「おもてなしとかしないで、寝ていていいから」と伝え、光山くんを自宅に迎え、夜中まで飲んだ。続きの議論は特にせず(笑)、たわいない話に終始したような気がする。
あの局面で社長宅に押しかける光山くんの度胸と、一刻も早く懸念事項を終わらせるフットワークはたいしたものだ。逆の立場だったら、とても僕には出来ないと思う(笑)。

もうひとつ、彼が言った言葉で忘れられないのがある。
「もっと、贔屓してくれてもいいじゃないですか」
彼は期待に応えて抜群の結果を残したし、私も相応に処遇でも機会でも応えたつもりだったが、突出した贔屓は出来なかった。大勢のメンバーにも納得感がある形で、公平公正なマネジメントを原則にしていたからだ。その「塩梅」をどこにおけば良いのかという答えは、いまだに私の宿題として残っている。

ESP事業は一見上手く行っていたが、全社的には課題もあった。
ケータイコンテンツ事業は収益逓増型で、利益率も高かったのだが、ウェブ事業の未来を考えると「ケータイにおける企業サイト構築」も同時に力を入れて欲しかったのだ。必ずPC&モバイル(今ならPC &スマホ)のマルチプラットフォーム時代が必ず来る。そのための事業基盤を作っておきたい。ところが、これがなかなか進まない。

なぜなら、当時のケータイの企業サイト構築は単価300万円〜500万円が相場で、ウェブ構築の10分の1の受注額にしかならない。ウェブとケータイの関係は新聞の朝刊と夕刊のような感じだった。当然、ESP事業部は儲かるコンテンツ事業に傾注し、ケータイ企業サイトに積極的にならないのも理解できる。

この問題を解決するための戦略がユニークメディア社のM&Aだった。
ユニークメディアは企業向けケータイソリューションを開発しているベンチャー企業で、社長の高藤さんの営業プロデュース力の強さと、技術を支える取締役の森川さんに私は一目惚れした。ただ、経営管理に難があったので、他のケータイ企業で活躍していた「建て付けのプロ」鈴木憲治郎さんをスカウトして、経営陣を強化し、新ユニークメデイアをグループ入りさせた。その後、彼らが主となってIMJのウェブ顧客のケータイサイトを構築していく。

沖縄の甲子園常連校だった豊見城高校の栽監督が、後に沖縄水産高校の監督に転任し、「県内にライバルがいる方がお互いに強くなる」と言っていたが、まさしくESP事業部とユニークメディアは、IMJグループ内で切磋琢磨する関係になった。
最初は反目していたが、時間の経過と共に助け合うようになり、最終的にはESPとユニークメディアは合併しようと現場から上がる。
その合併した会社がIMJモバイルであり、IMJと親子上場を目指すことになる。
 

19  撤退の覚悟をしながら臨んだ映画事業3年目

 『IMJものがたり6』に次のステージの経営者について書いたが、6月1日付けでIMJの7代目社長に大塚健史くんが就任した。
アクセンチュアグループ入りして、事業と組織の融合を進めてきたひとつの結論として、アクセンチュアに事業ごと転籍したメンバーと、IMJに残るメンバーに分かれた形だ。
転籍したメンバーも残るメンバーも、こういう大きな組織再編の時は何らかの寂しさや不安は付き物。100%の正解は誰にもわからないが、経営陣が『一番良い意思決定』と悩み抜いて決めたのである。あとは『あの意思決定で良かった』と思えるように皆で頑張るだけ。
大塚新社長には期待しかないし、OBみんなで応援していきたい。

さて、I P Oの話に入る前に、エンタメ事業の立ち上げについても書いておかなければならない。
 柱となるウェブサイト構築事業、2つめはケータイへのエンタメコンテンツ配信事業、そうすると3つめの事業カテゴリーとしてエンタメコンテンツの制作事業を手掛けるというのは充分シナジーが出せそうだと考えていた。

ソニーは、創業者の一人である盛田昭夫さんが『ハードとソフトの融合』という大きなビジョンを掲げて、脈々とその道を歩んできた。

音楽ではCBS・ソニーレコード(現ソニー・ミュージック・エンタテインメント)の設立、映画では米コロンビアの買収に始まるソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント、ゲームでは、プレイステーションを核にしたソニーコンピュータエンタテインメント(現ソニーインタラクティブエンタテインメント)。キラーソフトの制作がハード事業を牽引したり、ハードがソフトを育てたりという両輪になっている。

ケータイ配信事業もアーティストやタレントのファンクラブサイトを手がけるにあたり、いちげんさんが芸能事務所の門を叩いても相手にしてもらえない。映画の製作委員会に入るから、その映画サイトの制作を受託する、日常的に役者をキャスティングしているので、ファンクラブサイトを任せてもらえる。
IMJ自身がエンタメコンテンツを制作し、業界とのパイプがしっかり出来ているとともに、大株主がTSUTAYAオーナーの増田宗昭さんなので、会社としての信用度や「組んで損はない相手」感も充分あったのではないかと思う。

今なら音楽も映画もゲームも、パソコンやスマホ、ネット接続したテレビで当たり前のように見れるし、そうしたコンテンツを制作しているネット企業も多い。ガンホーやコロプラのようにネットゲームで市場を席巻した企業もあれば、サイバーエージェントのように放送局を立ち上げた企業もある。

 大事なのは、参入の仕方とリスクヘッジ、継続の方法、勝ち方の方程式だと思う。闇雲に参入したり、本業利益を食い潰したり、一発狙いにいくとエンタメ事業は単なる「博打」になる。
 が、ずっと残っている企業には、やはり理由がある。

自社の強みを考え、まずは映画制作に参入した。最初に引っ張ったのは当時ポニーキャニオンに在籍していた久保田修さん(現在のC&Iエンタテインメント社長)。『スワロウテイル』や『Love Letter』『リング』『らせん』などを手掛けたフジテレビの河合真也プロデューサーの下で現場を仕切っていた彼の力に惚れ込み、IMJに誘った。
もう一人はスカパーにいた長松谷太郎さん(今はジャニーズ事務所の映画会社Jストームで映画制作をしている)。この二人を軸にして映画事業をスタートする。
ゲーム事業は、マリーガルマネジメント(任天堂とリクルートが合弁で設立したゲーム会社)から三木裕明さんに来てもらい、立ち上げていった。

「勝てるはず」と思って2001年に参入したエンタメ事業だが、最初の2年は辛かった。制作開始してから作品が世に出るまでタイムラグがある。いきなり大作を制作するのはリスクが大きいので、規模の小さい作品からスタートするので大きなリターンが見込めず人件費も賄えない。結果が出ない中での作品への継続投資は本当に心臓に悪かった。
年度決算も設立2年は赤字が続き、ウェブ事業から「俺たちの利益を使って・・・」という視線は社長といえど、内心穏やかではなかった(笑)。

 そして3年目。今年手応えがなければ撤退も考えなければと思っていた矢先に、草薙剛、竹内結子主演の「黄泉がえり」が興行収入30億円を超える大ヒット。RUI(柴崎コウ)の主題歌『月のしずく』もオリコン一位を獲得する。
 初日の舞台挨拶で満員の観客を眺めながら、大谷健太郎監督がメジャーデビューしたこと、そしてヒットを出せてホッとしたのもあるのだろう、私は恥ずかしながら舞台袖で涙を流した。

さらに、その年末に「ジョゼと虎と魚たち」がヒットした。興行成績もさることながらクオリティ面で高い評価を得ることができ、IMJは映画制作会社として業界の仲間入りをする。この作品で久保田修プロデューサーは藤本賞(生涯を映画製作に捧げ、277本の作品を世に送り出した映画プロデューサー藤本真澄の功績を讃え、東宝によって設立された賞。著しい活躍をした映画製作者を表彰する賞)を受賞し、映画事業は軌道に乗り始めた。
 
株式上場したのは2001年。映画事業でヒットが出たのが2003年。
上場前、エンタメ事業は赤字続きだったので、機関投資家からは「辞めたらどうですか?」「本業に集中してください」「どういうシナジー効果が出てくるのかわからない」と言われ続けた。
「あの時、よく耐え忍んだなぁ」という苦い思い出の方が、楽しい思い出よりも鮮明に覚えている。まぁ、それも今では楽しい思い出なのかもしれないが。


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かしのたかひと

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かしのたかひと
リクルート、福岡ドーム、メディアファクトリーを経て、映画プロデューサー、ベンチャー経営者、政治家、作家に。