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IMJものがたり20  株式上場(前編) ちゃぶ台をひっくり返したのは誰?

私は、社長就任した時に財務や経理に強かったわけではないが、強力な布陣に支えられながら、必死に勉強した。


 副社長の玄さんは、ジョージ・ワシントン大学経営大学院でMBAを取得し、メリルリンチ証券、ドイツ証券という経歴の持ち主(テニスの腕前も相当強かったらしく、高校から米国へテニス留学し、留学生の中には松岡修三さんや伊達公子さんらがいて、アガシとも試合をしていたらしい)。


 経理の責任者は生島ヒロシ似の公認会計士の斎藤さん、CFOには証券会社から転職してきた中村さん、名アナリストだった藤根さんが持ち株会社にいて、あらゆる角度からファイナンスについて教えてくれた。


 IT株式市場を最初に牽引したのはヤフー(日本法人)。1997年11月に店頭市場(現在のジャスダック市場)で株式公開し、初値が200万円(額面5万円)だったのに対し、1年余り後の1999年1月に1,000万円を突破、それから1年後の2000年1月にはなんと1億円の大台乗せとなり、さらに2月には1億6,000万円まで上昇する。

 サイバーエージェントが起業2年目で上場したのは2000年3月。公募価格は1株1500万円、1520万円で上場、225億円もの金額を調達した。 

 楽天が上場したのは2000年4月。公募価格は3,300万円で、調達資金が495億円。初値は、公募価格を40%も下回る1,990万円と大幅なディスカウントで始まり、直後に1,190万円の安値をつけ先行きが懸念されたが、その後午後に入り切り返し、終値は3,000万円。

 この頃、既に米国の株価が2000年3月をピークに下落に転じ、景気全体も徐々に下向き始めていた。この米国の影響を受けて日経平均株価も2000年4月から下落基調をたどり始め、結局、ITバブルはわずか1年余りで終わりを告げ、不況に逆戻りしていく。

このITバブル崩壊によって、サイバーエージェントの株価は10分の1になり、手元現金が160億円もあるのに、時価総額は80億円まで下落する。  
 このあたりの苦労や生々しい話をテレビ東京のドラマ「ネット興亡記」で放送していたので見られた方も多いと思う(見逃した方はParaviでどうぞ)

 その後も日本企業の株価は下がり続け、2003年には日経平均株価が7,600円台まで落ち込み、バブル崩壊後の最安値を更新する。
 このITバブルが崩壊した2000年4月の半年後に、私はIMJの社長に就任する。

 株式市場は「右肩下がりのお先真っ暗」な状況だった。リクルートのフレックス定年制の退職金3000万円を諦めて、予定より6ヶ月早く社長に就任することにしたのも、さらに6ヶ月待つと株式市場もIMJもどうなるか全くわからなくなる。ならば、人任せにしないで火中の栗を拾い、自分自身でなんとかしたいと思ったのだ。

 そして、2001年4月、主幹事の外資系証券会社と最後の詰めの会議。

 証券市場の先行きの暗さを理由に、予定していた公募価格では買い手が付かない可能性があるので、公募価格を約半値に下げ、公募株数を2倍売り出すよう私たちに通達してきた。

 半値に下げた株価で上場すれば、それまでに第三者割当増資に応じてくれた既存株主に減損が生じる。しかも公募株数を倍にすると主要株主の比率が大きく変わり、今後の資本政策にも影響を及ぼすのは必至。

 「まさかここで株式上場を止めるわけにはいかない」という我々の逃げ場がないのを見越して足元をみてきたとしか私には思えなかった。

 これまで管理本部は朝から深夜まで上場資料を作成し、この日のために頑張ってきた。事業部メンバーも上場直前期の業績をコミットメント通り達成するため、数字を積み重ねてきた。

 その努力を無にして良いわけがない。

 しかし、株主にとっても社員にとっても株式公開は大きな登竜門であり、節目であるのは間違いないが、ゴールではない。
 中途半端な形で、悔いが残る形で、「株式公開」だけに拘るのは本質を外している。
 

 たくさんのメンバーの悲しむ顔が思い浮かんだが、私は心を決めて先方に告げた。

 「御社提案の形で上場するのは、IMJの将来にとって良くないと思いますので、御社と組んで株式公開をするのを辞めたいと思います。誠に申し訳ありません」

 私は、株式公開直前でちゃぶ台をひっくり返し、IMJの上場を白紙に戻したのだ。

 メンバーにも申し訳なかったし、自分で決めたくせに私自身も落ち込んだ。むしゃくしゃした気持ちをどこにぶつけていいかわからなかった。

 しかし、「今までの努力が水の泡」というムードになると、どんどん最悪になる。せめて経営者の私が「もっと良い形でやり直せばいいだけ。大丈夫、IMJならやれる」と前向きなメッセージを出し続けなければいけない。

 そのために、自分自身の気持ちを前向きに変える「何か」が必要だった。
 すぐ実現できて、気持ちがワクワクする「何か」。

 今、考えると、とても子供っぽい解決策だし、よくそれで気分が変わったと思うのだが、私は気分転換のために昔から一度は乗りたいと思っていたポルシェ911カレラを購入した(笑)。
 「サーキットの狼」の早瀬左近が乗っていたあのモデル。もちろん中古。
気分は一気にハイテンションになった。この時38歳。単純過ぎて笑える。

 このポルシェ、妻との初デートでエンストするわ、夏の旅行でエアコンが壊れるわ、高速道路でドアミラーが落ちるわ、いろいろ難儀したが(笑)、「欲しいものを買うことでストレス発散できることもある」を教えてくれた貴重な経験。

 ともかく、2001年5月、IMJの株式公開は一旦白紙に戻ってしまったのである。
(後編に続く)


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