走る後閑_

私が特に女子長距離を応援する理由③


さて、誰も興味のない連載の3回目です。

念のため、1回目は → こちら

2回目は → こちら

今回も誰も興味のない内容かもしれませんが、私はこれがいちばん書きたくてnoteに手を出したのかもしれません。

では、はじめましょう。

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すべてはウザ絡みから始まった

2014年の杜の都駅伝から急に女子長距離に興味を持つようになった私は、そこから国際千葉駅伝やFUKUIレディススーパー駅伝、日光いろは坂駅伝を経て、次なるターゲットを12月14日の全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝)に完全に絞る。

何はなくともリサーチということで、私はありとあらゆる女子実業団の長距離選手のtwitterアカウントを見付け出しては無差別にフォローを続けた。

急に知らないおじさんからフォロー(あるいはフォローリクエスト)されて、さぞ多くの選手に不愉快な思いをさせてしまったであろうことをこの場を借りてお詫び申し上げます笑

そんな中で、私はある女子実業団選手との交流が生まれる。

まぁ、正確に言うと交流が生まれたというよりも、私が一方的にウザく絡み続けただけなのだが・・。

彼女のなにげないツイートに、私はそれなりにドキドキしながらリプライを付けたのを今でも思い出す。

最初はやはり普通に無視されるのが当たり前だと思っていたし、特に返信は期待していなかった。でも返信して欲しかった笑

すると意外にというか何というか、彼女はあっさりと返信してくれた。

私はその後、あまりにも多くのことを彼女から教わることとなる。

その第一歩が、そのなんとも他愛もない返信からだった。

ちなみに彼女からの返信で味をしめた私は、同じような感じで複数の女子長距離選手のツイートにリプライしては無視されたり人によってはブロックされたりすることとなる。

返信をくれた彼女だけが特殊で、本来はむやみやたらにリプライなどしてはいけないということが、彼女に教わった最初のことかもしれない笑

そんな彼女の光と影

いずれにしても返信をくれた彼女はいつも気さくで明るく、ド素人のドスケベ中年が素人丸出しの質問をしたりしても、やさしく丁寧に返してくれた。

「情報収集するため、見るため」に始めたtwitterだが、彼女との交流を通し私にとってのtwitterも楽しいコミュニケーションツールへと少しずつ変わっていった。

そんな彼女は、当時高卒3年目の選手。

高校時代は関東地方のいわゆる名門校で名を馳せ、インターハイや都大路、あるいは国体でも活躍した。北関東の大会では、いまだに大会記録を持っているほどの選手だ。

実業団に入ってからも日本選手権で入賞するような活躍も見せたが、実は実業団での競技生活の大半はケガとの戦い。苦しい日々を送っていた。

そこに彼女の実績も現状も何も知らないドスケベ中年がズカズカと絡んできたものだから、内心はかなりイライラさせたことだろう。本当に申し訳なかったとは思う。それでも彼女は、いつでも明るかった。

今となって思うことだが、何も知らない私に対してだからこそ、辛く苦しい自分の現状を悟られたくはなかった。そういう心情が、彼女に余計に無理やりにでも明るく振る舞わせていたのかもしれない。

そう。今になってわかること。

彼女は3人姉妹の末っ子として生まれるが、幼いときにお父様を亡くしている。

「お父さんがいないことで、この子たちに寂しい思いをさせているのでは??」

お母さんにこのように思わせることを極端に嫌った彼女は、家族の前では大げさなくらいに明るく振る舞うようになった。本当は寂しく、辛いときにこそ、とにかく明るくしよう。家族を楽しませよう。この考えが彼女のベースとなっており、その姿勢が彼女を救うこともあれば彼女を苦しめることにもなった。

成人しても、彼女のベーシックな部分はもちろん変わらない。

もはや家族同然の存在であるチームメートの前では、とにかく明るく振る舞った。でも本当は、苦しかった。どうしようもなく、苦しかった。


彼女はこの2014年のクイーンズ駅伝を最後に、大好きなチームを離れ現役引退することをこっそりと決めていたのだ。


もちろん当時の私がこの事実を知っていたわけではない。すべては後から知ったこと。当時の彼女の心境も、今だからわかることでしかない。

いざ、クイーンズ駅伝へ

そんな彼女の当時の立ち位置や進境を知る由もなかった私は、シンプルにクイーンズ駅伝を楽しんだ。

デンソーが圧倒的な強さを見せたレースだったが、まだそれ以外にも見どころがたくさんあった。

この年の翌年からクイーンズ駅伝の各地区予選会が廃止され全国統一予選会が行われることとなり、クイーンズ駅伝で8位までに入ったチームはその統一予選会を免除されるというシステムも、まさにこの年に始まった。

私がたまたま女子長距離に興味を持ち始めた年に、翌年から福岡で統一予選会が開催されることが決まった。これもやはり運命なのだろうか。(いや、ただの偶然)

その8位以内、いわゆる「クイーンズ8」を懸けた戦いも白熱したし、シスメックスの4区の選手が脱水症状に陥りながらもフラフラの状態で必死に襷をつないだのに結果は失格(襷を投げた形となったためだと記憶する)になるというショッキングな出来事もあった。

そしてこの駅伝を通して、私は強く確信したことがある。

駅伝は、しっかりと予習して観れば何百倍もおもしろい!

これに尽きる。

私はこのクイーンズ駅伝に向けとにかく各チームのHPを凝視しまくっていただけあって、どの区間のどの場面を見ても「あー、〇〇さんだ。△△高校出身の人ね!」みたいなことはぼんやりとでもわかるようになっていた。

身近なところでいうと、「こないだの杜の都で立命館の優勝メンバーとなった園田聖子さんと筑女でチームメート(先輩)だった青木優子さんがキヤノンの3区を走ってる!!」みたいな興奮が生まれるくらいの段階にまでは成長していたのだ。

こうなってくると、優勝争いや入賞争いに特化しなくともいくらでも駅伝は楽しめる。どの区間の誰にだって、ドラマはある。

いや、どの区間も走っていない選手にだって、ドラマはある。

そんな大切なことを教えてくれたのが、言うまでもなく「彼女」だ。

この駅伝から約1年後、「彼女」というフィルターを通してのこの駅伝の感想をブログに記している。(こちら

ここからがまたドラマ以上のドラマ

彼女は2015年の2月に正式に現役引退をしている。

しかしありがたいことに、今でも彼女とはSNSツールを通して交流は続いている。

とはいえ、彼女の本当のドラマは引退後の方が多かった。

そんな彼女を通して、私は本当にたくさんのことを学んだ。

詳しいことは書けないが、女子選手特有の問題もあれば、女性アスリートのセカンドキャリアにまつわるような問題もあり、はたまたネット社会の闇のような部分の問題までいろいろと考えさせられた。

そのすべてが現在の私の陸上ファンとしての在り方につながっているのは間違いないところで、彼女との交流がなければ私はリアルなドスケベ中年のままだったことだろう。

本当に彼女には感謝しかない。

そんな彼女も、現在は元気に子育て奮闘中。

競技の第一線を離れてからは久しいが、一人の女性としての彼女をいつでも応援しているし、何らかの形で彼女の役に立って恩返しできればとは常々思っている。


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第3回は以上です。

キャプテンさんはドスケベ中年のキャラを演じてるだけで本当はそんなことないんだ~~と思ったあなた、それはそれで誤解ですよ笑


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