なにものでもない私で、ここにいたい。
今、目がとてつもなく腫れてる。
昼からほぼ泣きどおし。
きっかけはほんの些細な口論から。
私の限界値が既定の数字をはるかに上回った。
この針がとんでもなく振れたおかげで、
私がよく夫に「いったいじゃぁ俺はどうしたらいいの?」と言われて言葉に詰まっていたのが、本当はどうしてもらいたかったんだろうということがわかった。
そしてそれは私自身が自分に一番そうしてほしかったことだともわかった。
それは、
家事をしているから。
育児をしているから。
お母さんだから。
”だから”、私は存在していい。この家にいていい。
何かの役割がないと認めてもらえない、価値がないという私の思い込みがあった。
実際、いつだったか「hebucoから家事と育児とったら何も残らないよね?!」と夫に言われたこともそこに拍車をかけていた。
恐らく夫はそこまで深い意味で言ったつもりはなかったと思うけれど。
いつからだか、夫や娘と一緒の家で生活しているのに、生活している感覚がどんどんと薄れていった。
それは娘の成長に伴うものなのかな?
夫が興味あることに夢中になっていて、顔を合わせる時間が少ないからかな?
じゃぁそこは私がとやかく言って、2人の好きなことや成長を妨げるのもあんまりだよね、とあまり口出しをしなかった。
そうすると、2人が離れていく感覚はどんどん強くなっていった。
むしろ、私のことをただの家政婦としか思ってないのかもしれないと被害妄想を抱くほどに。
そうなると、自分のしていることがむなしくなり、けどやらないと私はこの家での存在意義がない、頑張り続けなければとムチをうち、2人への怒りや憤り、やるせなさをいい大人ぶって隠そうとすればするほど自分へも同じような刃をむけていた。
その限界が今日ついにきて、隠しきれなくなった。
「もう疲れた。なにもしなくても私は私を生きたい。
この家を出ていきたい。もう頑張れない。」と夫に伝えた。
最初は何を急にと戸惑っていたけれど、「どうしてそう考えてるの?」と問われたのでぽつぽつ今まで感じていたことを伝えた。
それが理解してもらえなくてもいい。
とにかく言葉にしよう。そう思った。
「条件をつけなくても、私は私だ。」と胸を張って生きていくために、今日初めて言葉にした。
夫とも久しぶりに顔を合わせ、向かい合っての会話だった。
娘とも、夜、ぶつかり合ったものの、初めて私の心情を話した。
これも伝えたいというよりも、ただ事実をありのままに。
最後に、娘は「色々考えてくれててありがとう。」と言った。
表情もなんとなく穏やかだった。
これで一件落着、幸せな日々を過ごしましたとさとはならないのもわかってる。
また山あり谷あり。
それでも今回、2人への承認欲求も隠して我慢してひねくれていたのも公開して、自分の心の奥底の望みも見えてきて。
風穴ひとつあいたんじゃないかな。
明日は目がとてつもなく腫れていて、あかないような気がするけど。
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