怒りの矛先
百日草の芽がどんどん成長していて、葉が開きして毎日その様子を見るのが楽しみになっている。
なのに、昨日の朝見てみたら2枚葉だったはずのものが片方なくなっていたり、明らかにくわれている様子。
なんで!
そこでまず前日までの上り調子だった成長との違いに困惑し、同時にその原因となったであろう対象に怒りを感じた。
その対象は葉をくったであろう虫。
そしてもうひとつは、その可能性を予測出来ずに対策を講じてなかった私に対して。
後で検索すると百日草はナメクジやダンゴムシに食われやすいということや対策法がいくつかあることを知った。
そんなこと調べもせずにただ種を蒔き、芽が出るのを待ち、出たら水をやり、液肥を与えだけしていた自分の浅はかさ。
馬鹿野郎が!と私は私に怒り、罵っていた。
今回のことのように、私は何かの現象が起こり、その現象を引き起こしたであろう直接的な物や人に対して怒っていたように見えて、私自身にいつもその怒りの矛先を本当は向けていたことに気がついた。
それは日常のありとあらゆるところで。
書き出すとキリがない。
けれど大体が無意識化で起こっている。
だから、その怒りは大体が未消化で、常に私に刃を向けていて、ふとしたことで漂流していた記憶がふいに私の目の前に現れた時にグッと力が入り、刃先が私に食い込んでくる。
なのでまずは気がつくことが出来た今回、自分を心ゆくまで褒めてあげたい。
まずは気がつくところから。
その怒りを認めるところから。
そこから私は刃を震えながらグッと握っている手にそっとまた手を添えて力を抜くことにする。
その繰り返し。
例えば相手に怒った時に言い返せなくて言葉を堪えた自分に怒ったことに。
「よく頑張った。本当はなんて言いたかった?」と自問し、本当はこう言いたかったとひとりごとでもいい呟くことにしてみたり。
どうして私はこんなにも怒っていたのに、怒っていない、むしろ怒ってはいけないとしてきたのか。
おそらくそれも自分の浅ましさ、浅はかさなどを「清らかであるべき私」から排除するためでもあるし、そうあらねば私は認めてもらえないという恐怖からかもしれない。
そのあたりもふつふつと私の中でここのところ浮上してきている。
順も追わなくても、とびとびでもいい。
できるところから。
つい焦り、そして正しくしがちな自分にそう唱えながら。
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