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自分の人生の手綱は誰にも握らせるな

こんにちは!ヒラパーです!

先日、グラウンド整備している時、トンボとトンボの間が空いてしまって整備が出来ているところと出来ていないところが多く目につきました。

その時にはみんなに注意をしたのですが、適当にやってはいけないなあと思う訳です。

なんで適当にやったらダメなんだっけ?

そんなことを思いながら、その日ずっと「なんで適当にやったらダメなんだっけ?」と考えていた。

適当にやるやつは適当な人生を生きる。と僕は思う訳だが、上手に言語化して伝えるとしたらどういう事なんだろうなって思う訳です。

結論

仮説として
・やる目的・理由を理解していない事が多いのではないか
・理解して納得しない事を「やらされている」と思ってやっている事が多いのではないか

極論、納得しない事ならやらない方がマシだと思っている。
適当になあなあでやっている事自体、自分自身の意思がない。
意思のない人生を送るとうまくいかない時に他人のせいにしてしまわないか?と思う。

何か失敗した時「だってこうやった方が良いと言われたもん」と言っても責任を取るのは自分自身でしかない。
親離れをして社会に出るタイミングで否応なしに自分自身で責任を取る事が多くなる。

こういった自分自身の意思はどこにあるの?系は目的意識の欠如がある。
先日、和久傳のギャラリートークショーで安藤忠雄さんが言っていた「自分の考えがない人が多すぎるねん」です。

ただトンボの例ではあるが、トンボを適当にする人は例えば身体のケアも適当にするだろう。と思ってしまう。

自分の人生の手綱は誰にも握らせるな。

適当にやる人の人生は、自分の意思がなく他人のせいにする適当な人生しか送れなくなる。
それで楽しいか?
いや、もっと楽しくなるはずだ。

ヒラパー

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