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Akkyo(上野晃代)
2024年5月12日 13:19
前回の続き楽譜を初めて出版した1831年、シューマンは、彼の創作に次いで重要な功績となった音楽評論活動の口火を切り、当時のドイツではほとんど知られていなかったフレデリック・ショパンの天才を見抜いて評論文を書き、これによってショパンの名はドイツ国内で広く知られるようになりました。そして1833年頃には、シューマンは作曲においても評論においても次第にその頭角を現してきていました。またこの頃、次