缶太朗のゲーム日記TURBO 21日目~田んぼ再★開

今日はあるマンガの単行本巻末読者イラスト投稿用のイラストを描いていた。

始める前に構想を練って、どういう絵にするかは割とすぐ決まったのだが、いざ描き始めるまでが遅い。なぜか。

自分が下手なのを一番良く知っているからである。

下手な絵と、そして下手な絵しか描けない自分と向き合うことは、それはそれは苦しいことなのである。

「上手な人も最初は下手だった」とかいう言葉を聞きたいわけじゃあない。
今僕は下手だから困っているのである。
「お腹いっぱいの人も食う前はお腹が空いていた」とか聞いてもその空腹の人の腹はふくれないのである。
それに最初から上手ければそれに越したことはないじゃあないか。
でもそう都合のいい話はない。

僕は幼少期からゲームにハマり、人並みにアニメやマンガを見て、中学ごろからアニメ・マンガ・ゲームに割く時間が多く、濃くなっていった。

そういう人間なら一度や二度は絵を描いたことがあるハズだ。
自分の好きなキャラの絵とか。そりゃあ描くだろうさ。僕もそうだった。
雑誌に投稿したりもするだろう。

しかし、理想と現実とのあまりの隔たりに辟易し、努力することを放棄してしまったのである。描くこと自体を楽しむことをせずに…

ここで描くモチベーションを維持できる環境に恵まれたなら良かった。

なぜ僕は高校に入って漫画研究会に入らなかったのだろう。
入ればよかったと今更ながら思っている。
そうすれば絵に関するコンプレックスが根付くこともなかったかもしれない。
(ただ、ゲーム研究会を創設すれば良かったとも思っている)

そもそもの話になるが、なぜ幼稚園…はともかく、小学校、中学校、高校と、図画工作美術の授業で「絵を描け」とは言われるが、絵の書き方を教えてくれないのだ。
「給食は三角食べをしろ」なんて意味のわからないことは押し付けがましく教えてくるくせに。
「絵は自由に描くものだから」なんて詭弁を弄されるのだろうが、基礎あっての自由、個性である。画用紙をクレヨンでぐちゃぐちゃにしただけのものを個性のある絵と呼ばないのと同義である。
それと最悪なのは、そうやって自由に描かせておいて出来上がったものにケチをつけるパターンである。
描き方を教えないクセに、いざ絵を描けば人の作品にあれは違う、これは違うとイチャモン、モノイイをつけてくるのである。実際そうだった。

これ以上義務教育について文句を言うのも疲れるのでやめておくが、とかく僕は筆が遅いのである。
下書きを始めてから数日経過させて再開したりしてるので、一週間ぐらいかかったかな…
描き始めて初めてわかることなんていくらでもあるし、その内容によって修正を余儀なくされることもあるので、早く始めて早く仕上げるのが一番だ。
いつもそう出来ればいいんだけどね…

…でも応募の締め切りよりずいぶんと前に投稿できたことは良かった。自分を称賛したいと思う。

えっと、何の話だったっけ?

そう! 天穂のサクナヒメを再開しました! 10日ぶりに!!

米が100(俵?)採れたぞーい!!

これで次の秋まで白メシが食えるぞーい!!

次の秋はもっと採れるのかな!?

米がたくさん手に入るとうれしいゲーム…

それが「天穂のサクナヒメ」。

そしてこの日記はゲームについて語る日記。

語るってほど高尚なものでもないが。

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