児童養護施設で性教育は必要か

児童養護施設で性教育は必要か


児童養護施設で起きる事件の中で、職員がもっとも対応に苦慮するものが性的事故です。


性的事故とは、児童と児童が性的な接触、または暴力を行うことです。


お互いに了承して性交渉した場合でも、性的事故です。


お互いに了承している場合は、児童の傷つきはさほど大きくはないでしょうが、大変なのは了承のない性的な接触です。


多くの場合が無理やり、または断れない状況に追い込まれて、セックス、オーラルセックスを強要されます。


そういう事故が起きると、「性教育が必要だ!」と声高に叫ばれることになります。


結論から言えば、児童養護施設の性教育は必要です。


しかし、性教育に対する正しい知識、認識がなければ、性教育は意味を成しません。


それをこれから考えていこうと思います。

児童養護施設における性教育


性教育と聞くと、「性に関する正しい知識を教える」と思う人がいますが、それは学校教育における性教育です。


児童養護施設における性教育でも知識を教えることはありますが、知識を教えることが目的ではありません。


児童養護施設の性教育を考える時、なぜ児童が性的事故を起こすのか、それを考えなければ性教育の意味は半減します。

児童養護施設の子どもたちは、多くの子どもたちが虐待を受けています。


虐待とは、権利を侵害されている状態です。


子どもたちの体、心、性、必要なお世話など、大切にされていれば守られたものが守られない、お世話をされないという状態です。


そういう環境で育つとなにが起こるかというと、他者の権利も守ることができません。


あなたが人に暴力を振るわないのは、そう学習したからです。

あなたが人に優しくできるのは、優しくされて、それを学習したからです。


誰でも生まれたばかりの時から、人に優しくできません。


どちらかというと虫を平気で殺したり、友達を叩いたりしていたことでしょう。


その都度、「虫も生きてるんだから殺しちゃいけないよ。」「友達を叩いてはいけないよ。」と教えられたはずです。


あなたは大切に育てられて、自分は大切な存在なんだと教えられ、だからこそ他人を大切にすることができるようになったのです。


虐待を受けたということは、あなたは大切な存在なんだと、教えてもらえなかったことになります。


そうすると、他人を大切にすることは出来ません。学習してないからです。


自分がムカつくことがあれば、人を殴ります。「死ね!」と言います。


自分の欲求を満たすために、年下の児童に「ちんちんなめろ。」と命令します。


そういうことが起きているのが、児童養護施設なのです。


これは、どの施設でも起きていることではありません。起きていない施設もあります。


しかし、似たようなことはどの施設でも起きています。


「ゲームを無理やり誘われた。」「勝手におもちゃ取られた。」「ケンカになったらいつも殴られる。」

こういうことならどこの施設でも起きています。


相手の権利を大切にできない、という意味では、どの施設でも子どもたちは同じことが起きているのです。


そういう子どもたちに、正しい性の知識を教えることは、根本的な解決にはなりません。


本当に必要なこととは、権利を侵害されてきた子どもたちに、あなたたちは、守られる大切な存在なんだと伝えることです。


あなたの命は大切で、あなたは大事な存在で、あなたと出会えたことは素晴らしいことなのだと私が思っていると、伝えることです。


言うだけではダメです。職員の言葉を、子どもたちが信じることが大切なのです。


なんと難しいことをやっているのか。


その、命が大切だということを伝えることが、施設で行うべき性教育です。


生きることを教える、生教育と呼ぶ施設もあります。

生教育とはどのようなものか


あなたが大切だというメッセージは、言葉で伝えることはもちろんですが、それ以外にも無限の方法があります。


朝起きた時から、それは始まっています。


「おはよう」と声をかけるのは、あなたが大切だからです。


温かい朝食を出すのは、あなたが大切だからです。


学校の支度を手伝うのは、あなたが大切だからです。


「行ってらっしゃい」と言うのは、あなたが大切だからです。


すべてのルーティンは、あなたが大切だと伝えるためです。


ルーティンは、目的ではないのです。あなたが大切だと伝える手段に過ぎないのです。


そういうことを、家庭では普通に行なっています。


母親は、あるいは父親は、祖父母は、子どもが大切だからすべてのことをするのです。


施設では、職員がするのです。


でも、職員がただやるだけでは、子どもには伝わらないのです。だって、権利を侵害されてきたんですから。


だから、人一倍やるのです。勤務の時、限られた時間しか、私たち職員に許された時間はないのです。


親が普通にやることを、権利を侵害されて育った子どもに、赤の他人の職員がやるのです。


伝えるにも技術が必要です。背景にあるものを理解するのに知識も必要です。そして、時間がかかります。


だから、施設の職員は、知識と技術と経験が必要なのです。


そうして伝えたすべての、「あなたが大切なんだ。」が生教育なのです。

性教育委員会の大切さ


生活場面で関わるすべてのことが生教育に通じるということは理解できます。


では、性教育委員会の役割とはなんなのでしょうか。


理想は、すべての職員が職務をまっとうする中で子どもたちを大切にすることです。


それを子どもたちも理解し、職員が愛情を注ぐことです。

しかし残念ながら、そのことを職員が理解するには時間がかかります。


生活におけるすべてのことが生教育につながることを理解するのは大変なことです。


その大切さ、問題の根本を見抜く力を養うためには、業務上のOJTだけでは足りません。


だからこそ、一旦日常の業務を離れて、ゆっくり考える時間が必要なのです。


施設によっては、外部研修に行かせます。


施設によっては、施設内研修を行います。


その中で、施設によっては、性教育委員会があるのです。


性教育委員会の活動が、最終的には生活場面で、生教育を行う土壌になるのです。

児童養護施設で、性教育は必要です。生教育が必要だからです。


これからも、子どもたちが大切にされることを願うばかりです。

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