大人を信用できない子どもたち
大人を信用できない子どもたち
児童養護施設の子どもたちは、大人を信用できない子が多くいます。
「あなたが心配なんだよ」と伝えても、「え、なに言っちゃってんの?嘘つき」と言う子がいます。
子どもたちにとって、大人を信用するということは大変にハードルが高いことなのです。
なぜ、そうなのでしょうか。
児童養護施設に入所する理由は、ほとんどが虐待
児童養護施設に入所するには、児童相談所が子どもを保護するところから始まります。
学校や病院、警察から、「この子は虐待されている」と通報を受けると、児童相談所は24時間以内に子どもに会って安全を確認します。
虐待の事実があると、子どもを一時保護所に保護します。その場合、保護の理由は“被虐“となります。主訴、被虐です。
子どもが直接保護を求めることもありますし、保護者が相談することもあります。
また、子どもが親に暴力を振るったり、非行がひどい場合にも保護されることがあります。
その場合、主訴は、養育困難となります。親が養育するのが困難という意味です。
養育困難は、保護の原因が子どものような記述になっていますが、実際には幼少期に親から虐待を受けており、体が大きくなった思春期以降に暴力や非行で仕返ししている場合はほとんどです。
私は、それも大きな意味では被虐待だと思います。
また、性的な虐待は、児童相談所が保護した時に発覚していない場合もあり、入所してから職員と信頼関係が生まれて、はじめて性的虐待の事実を告白することがあります。
最初に聞き取った内容だけがすべてではないのです。
そういう子どもたちが施設に来ますが、子どもたちは、自分を養育してくれるはずの保護者から虐待を受けて育ったわけです。
想像するのが難しいですが、本当に自分の力で生きて行くことができなかった小さい頃から、唯一の世界を作っている養育者から虐待を受けて育つのです。その、はかり知れないダメージを、私たちは想像しなければなりません。
そんな中、今日からお世話をする◯◯です、と突然現れた大人を、信用する方がおかしいです。
簡単に信用できない
最初に見た大人が、自分を殴るのか殴らないのか、子どもたちにはわかりません。
だって、一番殴ってはいけない人に殴られてきたのですから。
大人が殴らないのかどうか、手っ取り早く確認する方法があります。
怒らせることです。
怒っても殴らなければ、ほんの少しだけ安心します。
ほんの少しの安心を積み上げて、時間をかけて「この人は殴らない」と思い始めます。
殴られないとわかっても、子どもたちの困り感はそれだけではありません。
自分の気持ちを聞き取ってもらった経験が乏しいので、怒りや悲しみ、イライラや不安、そういった細かい感情の違いはわからず、全部、「ムカつく」と表現します。
本当はムカつきの中に、不安や悲しみ、孤独感や虚無感など、いろいろな感情が隠れていますが、「ムカつく」しか言えません。
しかも、ムカつく、の対処法は悪態をつく、暴れる、暴力を振るう、などの攻撃パターンになることが多く、職員はその対応を求められます。
その過程で、子どもも困っているのですが、対応する職員も困ります。
殴らないとわかったところで、子どもたちは自分の行動が抑制できず、その結果周りの人から疎んじられ、自信を失います。
「どうせ自分のことなんか、誰も大事にしてくれない。」
となるのです。
大人が殴らないのは確認できます。でも、大人が本当に自分のことを大事に思っているかどうか、子どもは確認できません。
親に大事にされて育った人なら、親が自分のことを大事に思っていることは疑いません。そういう感覚は、時間をかけて培われていくものです。理屈じゃないのです。
最初に出会った親から大事にされていなければ、人を信用するのに勇気が必要です。その勇気は、私たちの想像を絶する恐怖に打ち勝たない出せません。
大事にされればされるほど、子どもたちは揺れます。信用していいのか、やっぱり傷つくことになるのか、それこそ、口には出せない不安を抱えます。
大事にされて、相手を信用して、もしまた捨てられたら、自分はもう立ち直れない。そういう気持ちが信用することにブレーキをかけるのです。
どれだけ大変な毎日を送っているのか。本当に虐待はあってはならないと思います。
強く生きる子どもたち
過酷な環境を生き抜いて、施設にやってきて、問題を起こしながらもう職員と関わって、そうして少しずつ子どもたちは変化していきます。
中には、職員と信頼関係を築き、心の中に職員を置いておくことができる子もいます。
私は、そういう子どもたちを見るたび、その子たちがどれだけの勇気を持ったのかと想像します。そして、背景にあるであろう職員の忍耐と愛情も、同時に考えます。
肌感ですが、乳児院から来てる子や幼児から保護されている子は、職員を養育者として受け入れる傾向が強いように感じます。
また、祖父母や親戚の中で、多少なりとも愛情を受けることが出来た子も、職員の存在を受け入れやすいと思います。
中高生になるまで保護されず、深刻な虐待に長期間さらされていた子は、本当に厳しい世界を生きてます。そういう話を、せめて施設にいる間にしてあげたいと思って勤務しています。
子どもたちが仕事をしたり家族を持ったり、普通の生活ができるようになる子は本当に少ないです。
生活保護を受けたり、外部の支援を受けたりして、やっとのことで生活する子はいます。たくさんいます。支援を受けながら生きている状態でも、私は生きているということだけでも尊敬に値すると思います。
もし、そういう子がいたら、ボロボロになっている鎧を想像して欲しいと思います。私たちが普通にやっていることを、全力でようやくこなしている、虐待を受けて育った子どもたちのことを、想像して欲しいと思います。
外からは見えませんが、彼らは、勇者です。
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