情報化社会に生きている。(後編)
昨日までは、情報化社会における産業について分類をして、その詳細を検討しました。その結果、すでに世の中には情報があふれているらしく、
(0)単に新しい情報を生み出すだけでは見向きもされない。そうでなく、
(1)個別のお客さんのニーズに応じた、情報の整理・加工などのカスタマイズ度の高いサービスでないと、マネタイズは難しいようだ。
(2)ただし、一つの案件にかかわる情報サプライヤと顧客の人数は、ある程度のひろがり(レバレッジ)があったほうが、よりマネタイズしやすいようだ。
という洞察・仮説を得ました(前回記事)。
この洞察にもとづき、
「とりわけ第一次情報産業でゼロイチしようとする人々の苦難を、何とか軽くできないか?」
と思い、その処方箋を考えたのが今日のお話です。だって、だって…さむいんだもん。
結論からいえば、
「『お金を出してくれる人』のためにカスタマイズせよ」と
「情報を簡単化せよ」
の2つです…。
4. 一次情報生産者への処方箋
4-1. アマチュア制作者にみる、カスタマイズのなさ!?
冒頭の洞察がもし真なら、創作者がただ漫然と情報を生み出してウェブで「放流」するだけでは、マネタイズなどとてもおぼつかないはずです。
じっさい、多くのアマ制作者の楽曲や動画は、ほとんどビューを得られないまま埋もれていきます。
それは、誰かのためにカスタマイズされたものではないから、なのでは?? ――つまり、道ばたから、足早に歩く通行人にむけて、語ったり叫んだりしているようなもの。それじゃあせっかくゼロイチした創作物も、むしろ無視されてしまうのが当たり前ではないでしょうか…。(反省を込めて…)
4-2. 話のつまらない人にみる、カスタマイズのなさ!?
考えれば考えるほどに、カスタマイズの具合で、プロダクトの「響く/響かない」が決まってくる気がしてきました。
たとえば「話がつまらない人」。
観察していたら、その“つまらなさ”の根源はどうも「相手の反応を確かめずに、ひたすら自分の用意したネタを(最後まで)話そうとしているから」では…?と感じたのです。
逆に、誰だって自分のことをうわさされていたら気になりますよね? 猫でさえ、自分の話をされてたら耳を向けます(文字どおりに)。みんな、自分ごとなら興味がわくのです。
ところが「話のつまらない人」は、聞き手に応じた話し方があまり得意ではないので、たいてい一方的に「それはこっちにはあんまし関係ないんだよなぁ…」と思われる話をしてしまうようです(反省を込めて…)。
つまり、カスタマイズがされていない!
4-3. 情報創出者への処方箋?=カスタマイズを心掛ける…
上記のようないくつかの例を反面教師?として、ぼくが考える“情報クリエイター”のための処方箋とは。
情報過多に陥っている(かもしれない)この情報化社会においては、
★稼ぎをあげたいアマチュア的クリエイターなら。
「お金を持っていそうな人になるべく近づいて、ロックオンせよ」…――身も蓋もない言い方ですが…とにかく受け手に合わせたカスタマイズが大事そうだ、ということです。つまり、ノイズのように通り過ぎていく幾多の情報とは違う、あなたに関係ある作品なんですよ、と感じさせる必要性。
(もっとも、より広く「人々にウケる」ことも基本は同じかもしれませんが。)
★大衆目当てのブログ書きやライターなどの文筆業ならば。
すでに人々は、情報が多すぎて受けとめきれてないようだ。だから、新しい情報(作品)を創造するより、むしろ大海の情報を整理・簡単化することを第一に考えたほうがよいかも(想定読者に合わせたカスタマイズの仕方によって)。
ただし、すでに具体的なクライアント候補がいるならば、その嗜好に合わせたカスタマイズをすれば、創作物にも望みはあるかもしれない。でも「クライアント候補」というのは、要するにお金を払ってくれそうな人だと思うので、前述の「ロックオンせよ」という処方箋といっしょかとは思いますが…。
※もし広告宣伝のノウハウや、予算がたくさんあるのなら話は別かも。上記は、零細なところからなんとか離陸するには?といったレベルの話です。お客をつかんでいるかどうかの問題だと言えば、それだけかもしれません。
5. 情報産業全般への処方箋は?
以上、第一次情報産業についての“ヒント”とは言え、ちょっと話を矮小化しすぎた気もします。
では、もっと一般的な情報産業について、こんにちの情報化社会を泳ぎ切るためのヒントはあるのだろうか??
もちろん、ぼくにはよくわからないのですが、いま考えている「情報産業」は直接モノを扱わないから、サービスのスキームそのものがいわばプロダクトみたいなものですよね。ですから、その“プロダクト”について、上記と似た注意点は通用するのではないでしょうか。
これは単なる推測、机上の空論ですので、ここまでに。
6. 注意! 「簡単化=ごまかし」ではないはず
ひとつ注意したいのは、ぼくが言った「簡単化」は、「ごまかし」を意味してはいないということです。
たとえば、「インフォグラフィック」というものは、複雑なことを図にして一目でパッとわかるよう描くもの。あれは、ごまかしとは違って、「視覚化」をすれば一発でわかるという、人間の認知特性をうまく利用した「表現法の工夫」だと思います。
あるいは物理学だと、説明したいコンセプトが、比較的簡単な(身近な)現象にも表れている、ということはしばしばあります。たとえば、「カオス」だって、二重振り子の腕がぐるんぐるん複雑に動くのを見せられれば、「ほおぉ…これがカオスか…」となる。探せば例はいろいろあるはず。
「たとえ」も、うまければ、かえってよくわかるなど。
といった場合を想定してますが、ここらへんは後日またあらためて考察したいと思います。つまり「ごまかさない簡単化」とはなにか??
*
まとめは不要でしょう、あとは何らかの検証をするだけ…。
今日もお付き合いありがとうございました、かのわさびでした。え? …かんたん…でしたよね(矛盾にもほどがある)
理数系の教養は国力の礎。サイエンスのへヴィな使い手の立場から、素敵な科学の「かほり」ただよう話題をお届けしたいと思っています。