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172 紅葉の和歌山城・西之丸庭園を訪ねて

11月20日、前に訪ねたとき行き損ねていた和歌山城に行こうと考え和歌山を訪ねました。なぜか今年は和歌山県にご縁があり5度目の訪問です。

近年リニューアルされた和歌山市の顔、和歌山市駅。

和歌山市駅から和歌山城方面へは頻繁にバスが出ているのですが、歩いても17分ほどなので徒歩で行くことにします。

途中、和歌山一番の繁華街を通りますが信号の案内には「十三番丁」、「八番丁」の文字。一般的には「十三番町」「八番町」と表記されることが多いと思いますが、ここは「丁」。
「町丁」とも町の意味ですが、和歌山では武士の住んでいた区域は「丁」、町人の住んでいた地域を「町」と厳然と分けていてそれが今も残っています。ほかにも「丁」を使う町は堺市や仙台市があります。なお、「丁目」は町丁を細かく区切った区画を意味します。

そんな蘊蓄を語っているうちに和歌山城の堀に到着しました。ちらっと移っていますが、ここの場所も「西汀丁」。ここの堀は西汀堀と呼ばれています。

今私がいるのは城の北西の端。ここから天守に向かっていきますが、その途中にあるのが西之丸庭園です。

実はこの時期に和歌山城に行こうと考えたのは、この西之丸庭園が県を代表する紅葉スポットだから。

西之丸庭園のまたの名は「紅葉渓庭園」。その名の通り紅葉の名所です。急峻な石垣の左手に、徳川家康の息子で紀州徳川家の家祖である徳川頼宣が造庭したといわれています。昭和に入り整備がなされ、紅葉の美しい庭園として国の名勝にも指定されました。それではこの茅葺の門をくぐることにしましょう。

堀の縁にあたる部分を廻る形で整備された池泉式の庭園です。堤に植えられた楓の木々が赤く色づいていて見ごろになっています。

もう1週間も知れば一面真っ赤に染まった紅葉が見られるのでしょうが、この緑から赤へのグラデーションも見事。私はこの色づきつつある紅葉も徐々に深まる秋を目で感じることができてとても好きです。

かつてこの辺りは小高い山だったそうで、その高低差を活かしているのもこの庭園の魅力。丘になった部分から庭の全景を眺めることができます。

あちらの橋の上から庭の全景を眺められます。


楓の木の向こうに建つのは離れ座敷の鳶魚閣(えんぎょかく)。かつては城から廊下で繋がっていました。ここから庭園越しに城の全景を眺めていたと言われています。

対岸から眺めると紅葉に抱かれている様子がよくわかります。水鏡に浮かぶ建物の姿もとても優雅で、見ているものの目を楽しませてくれます。

このような素晴らしい庭園ですが、入園料は無料。和歌山城は410円の入園料がかかりますが、こちらだけ鑑賞するのであれば費用がかかりません。和歌山市、太っ腹です。


ではそろそろ庭園を抜けて和歌山城に向かいましょう。こちらは和歌山市駅の上から見た和歌山城。先日購入したミラーレス一眼。望遠レンズで撮影してみました。高い石垣の上に悠然と構える姿がとてもかっこいいと思います。和歌山では「おてんす」と呼ばれ親しまれてきました。

町を見下ろすように建つということは、そこまで行くためには登らないといけないということ。緩やかに続く階段を頑張って登っていきます。

天正年間に豊臣家が築城を命じたこの城は浅野家を経て、徳川家康の十男、頼宣が入城。尾張、水戸、紀伊の御三家の一つとして西の要の役割を担うこととなりました。8代将軍吉宗から12代まで、そして14代の将軍を輩出しており、これは紀州徳川家のみがなし得た偉業です。

城の入り口までの間の木々も秋の深まりを演じてくれていました。

今の天守は昭和33年に再建されたもの。明治期の城の破却も免れて国宝のも指定されていていたのですが昭和20年の和歌山大空襲で焼失してしまいました。

天守からは和歌山の町を四方眺めることができます。炎上しているかの如く真っ赤に染まった紅葉を城郭の中に抱いています。すぐそこには和歌山を代表する河川、紀の川も流れており飲み水や水運にも適した地であったことがわかります。今も徳島などへのフェリーが出る和歌山港があり瀬戸内に抜ける海上交通の拠点になっています。

和歌山でも確実に深まりつつある秋。紅葉のみごろになった西之丸庭園、そして御三家の繁栄をうかがうことができる和歌山城へ、ぜひお越しください。

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