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477 折尾駅今昔散歩。

今夏の九州旅行。本来であれば博多から新幹線で静岡まで帰る予定でした。
ところが台風7号が関東に来るかも、ということで東海道新幹線は早々に運休を発表。

新幹線はすべて新大阪までしか行かなくなりました。多くの方は旅行を速く切り上げて家路に急いだのですが、わたしは

「だったら帰るのを一日延ばせばいい」


ということで、当初予定に入れていなかった場所を訪問先に追加しました。

その旅先は北九州市。八幡西区の折尾駅に降り立ちます。

比較的新しい雰囲気の折尾駅。近年行われ、現在も進行中の折尾駅大改造により誕生しました。

折尾駅は筑豊本線と鹿児島本線の乗換駅です。かつては別の私鉄だった両線の駅がここにでき、立体交差するという非常に珍しい構造を持っていました。また、筑豊本線から鹿児島本線に連絡して黒崎まで結ぶ「短絡線」にはもうひとつのホーム「鷹見口」(上の黄色の箇所)があり、鹿児島本線などのホームとは150メートル離れていて改札を出ないと行くことはできませんでした。120年続いた立体交差でしたが、折尾駅周辺の再開発にあたり筑豊本線も高架化されることが決まり、短絡線も含めて1つの駅に集約化することとなりました。

鹿児島本線の線路は触らず、筑豊本線の線路を付け替えて鹿児島本線のホームの北に移設、筑豊本線と鹿児島本線の間に駅舎を新設しました。短絡線も合わせて移設して鹿児島本線と並行して走らせるようにしました。もとの折尾駅の西口駅舎は門司港駅にならぶ非常に高貴なデザインの駅舎を持っており、これを残すことも検討されましたが、残念ながら保存は難しく解体されることとなりました。今の折尾駅舎はそのデザインを踏襲するものです。

折尾駅旧駅舎(Wikipediaよりーhyolee2 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=21744093による)

折尾駅を訪ねたのは今回で2度目。前回は2020年3月で絶賛工事中で鷹見口も現役の頃でした。そのときと比較しつつ今の折尾駅周辺を歩いて見ました。

現在の折尾駅前広場には、使われなくなったレールが敷かれたままになっています。これは付け替え前の筑豊本線の線路の一部。かつてはまっすぐ今の折尾駅舎に向かって線路が伸び、鹿児島本線と立体交差していました。

折尾駅の構内に2本の線が敷かれていますが、これも筑豊本線がもとはここに走っていたという証。いかに折尾駅にとってかつて両線が立体交差であったことが重要であったかを物語っています。

折尾駅構内にも実際に筑豊本線が走っていた線路が残され、アクリル板越しに見ることができます。

こちらは2020年3月の写真。このころには筑豊本線は既に新線に付け替えられていましたが、線路やホームは残されていました。もう少し早く来ていればここを走る筑豊本線の姿を見ることができたのに残念です。

先ほども触れましたが、かつての折尾駅は筑豊本線短絡線の改札口「鷹見口」が150メートルほど離れた場所にありました。同じ駅でありながら一旦改札を出て外を歩いていかないとたどり着けない特殊な構造となっていました。鷹見口は矢印の方角にあります。

こちらが現役の頃の鷹見口。写真に写るのは息子です。改札を通ったところ、駅員さんにこの時間は電車来ないですよ、と止められました。見学ですと言って通してもらいました。

折尾駅「A番線」ホーム。

こちらが鷹見口から入った先にあるホーム。他のホームと離れていることを明確に示すため、A・B番線という特殊な名前で呼ばれていました。

こちらがその当時の時刻表。特殊な扱いのホームといいながら、結構電車がやってきます。近年、博多から篠栗線、筑豊本線を経由して折尾から鹿児島本線に入るルートは「福北ゆたか線」と呼ばれる福岡・北九州地区の通勤・通学路線として路線を増強してきており、それらの列車がこのホームを使っていました。ただ、折尾駅から直方方面に向かう列車は150メートル離れた他のホームから出ているものも多くあり、乗客にとってはどちらから発車するかわからず使いづらい駅になっていました。今回の線路の付け替えはその不便さを解消するためでもあり、2022年をもって工事が完了、鷹見口やA・B番線は廃止されることとなりました。

鷹見口があったあたりから新しくなった折尾駅を望みます。かつての線路は消え、再開発の工事中です。

中に立ち入ることはできませんが、A・B番線の痕跡が残っていました。4年前は現役でここに立ち入ったことがあるんだなと思うと何とも言えない気持ちになります。

旧鷹見口のすぐ近くにはレンガ造りの橋がありました。これもいかにも鉄道の廃線跡のにおいがします。

れんが橋はまっすぐ折尾駅に向かっています。

そのにおいは正解で、2000年までここを走っていた西日本鉄道北九州線が使っていた軌道の跡です。ねじりまんぽの形状のトンネルは京都・蹴上にあるものと同じ形状。これだけの規模のものが残っているのは珍しいです。

駅を中心にした再開発により新たに生まれ変わりつつある折尾駅周辺ですが、江戸時代に黒田家が中間市の遠賀川から洞海湾に向けて掘った堀川運河沿いの町として発展してきました。今も駅のすぐ近くに運河が流れ、昭和を彷彿とさせる店舗が軒を連ねています。新しいものと古いものが混在している町です。

新しいものと古いものの混在といえばもうひとつ。新しくなった折尾駅ですが、今ではほとんど見られなくなった駅弁の立ち売りが今も見ることができます。ホームではなく、コンコースで声をあげて弁当を売り歩きます。ここで売った方が効率がいいですね。折尾駅のかしわめしは全国的にも有名な駅弁です。旧いものを残しつつも新たに生まれ変わる折尾駅界隈。今も絶賛工事中です。北九州の鉄道の結節点として今後どのように発展していくのか、楽しみに見守っていきたいと思っています。


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