しんどい時こそ考える
2か月ほど前からプロトアウトスタジオというプロトタイプ専門の企業主催の研修に参加しております。
ちょうど半分ぐらいに差し掛かっているので、今まで感じたことをつらつら書いていこうと思います。
修行みたいな研修
研修の最終目標はクラウドファンディングで一つプロジェクトを企画する、というもの。
そのために色々な技術を身に着けるという意味で、週一回土曜日に技術や技術の考え方を学ぶ授業を受けています。
何よりきついのが、「週一回、プロトタイプをして記事を投稿する」という課題。
土曜授業で締切が水曜なので正味5日間で企画・プロトタイプ・記事投稿をする必要がある、スパルタ研修です。
授業で学ぶ技術も知らない技術だったりするので、技術的にできることと自分が実装できる範囲とを見極めたり、そこからアイデアを考え出すことがとにかく大変。
まるで修行ですよね。
これまで2か月間課題に取り組んできましたが、最近は仕事の忙しい時期にも重なってきたこともあり、かなり精神的に追い詰められることもありました。
しんどい時こそ考える
精神的にしんどい時ってなかなか日常で味わうことがありませんよね。
しんどい時は自分の身体の素の声を聴けるチャンスなので、「どうしてしんどいと感じているのか」を考えてみようと思いました。
いわゆる自己分析というものですよね。
折角なのでちょうど気になっていた、前田裕二さんの「メモの魔力」にある「自己分析1000本ノック」をトライ。
ひたすら自分がどうであったか、どう感じる人間か、どう目指していきたいかをリストアップしていきました。
本来論であれば手書きでメモしながらじっくり考えるものだと思うのですが、僕の性格の都合上「一旦全部書き切って何周もする」という作戦でやってみました。
自己分析をやりながら、色々思い出しました。
小学生の時に中学受験のために塾に通っていたのですが、課題が大量すぎて知恵熱を出したことがあったんです。
親がそれを見てもっと緩い塾に変えてくれたおかげで勉強が嫌いにならなくてすんだなあとか思ったり。
とはいえ、中学高校の時の頭おかしい量の宿題は楽しくできたなあとか思いました。
夏休みの課題で数学1000本ノックみたいなのがあったんですが、問題が難しすぎて腹が立って意地になって1000本ノック×3周したレポートを提出したこともありました。
受験勉強も楽しかったし、仕事もたくさんタスクがあるけれど楽しかった。
こう振り返ると、今しんどいのって多分知恵熱出したときと同じ状況なんだなあと思いました。
中高の宿題量で大丈夫だったと思うと、多分友達と課題をやれば楽しく感じるタイプなんだな、とか。
自習を全力でする(僕はこれを自分で自分の首を絞めると呼んでいます)みたいなのは大丈夫なんだな、とか。
仕事がしんどい・・・と思っていたけれど、実は研修が辛いだけで仕事がつらいわけでは無いんじゃないか、とか。
就職活動のときもかなり自己分析をした方でしたが、今改めてやってみると色んな発見がありますね。
追い詰められた時の自分の癖も分かってきました。
まず僕は「しんどいよお」「きついよお」と全力で表現しだします。
極力抑えるようにはしていますが、それが耐えられなくなると少しずつ漏れるように表現しだします。
個人的に昔からこの癖を直したいなあと思っていたのですが、なんでそう思ってるんだろう?と改めて考えたときに、昔からこう「そつなく何でもこなせる友達」に憧れていることが分かりました。
漫画とかでもクールなキャラクターが好きだったり、昔から格好つけたがり屋さんなんですね。
そう考えると、「そつなくこなせる人になりたい」という理想と、「つらいようとか言ってる自分」という実態のギャップも、自分にとってはストレスに感じてしまうのかもしれないな、という発見がありました。
あとは気に入らない考えがあったら理詰めで戦おうとすること。
これは普段なら気に入らない考えがあったら質問をぶつけて理解をしようとするかスルーするかの二択なんですが、理解ではなく論破しようとするもしくはスルーできなくなる、という現象ですね。
これは自分のストレスのリトマス紙に使えそう。
昔通院するぐらい抑うつ状態になったことがありましたが、病的にしんどいときって本当に世界の見え方が違うんですよね。
世界はプリンターで適当に印刷したみたいなペラペラの世界ですし、食べ物も味がせず「質量」って感じになるんです。
その時にものすごく真面目に「どう考えてもこうだ!!みんなこう思っているんだ!!」と思っていることって、体力が回復してから考え直すと何言っとんじゃいど~こが論理的じゃみたいな内容だったりするんですよね。
人は考えることで客観的に物事を捉えようとできますが、ちょっとした気分の変化で左右されるような、どこまでも主観的な生き物なんだなあと改めて感じました。
改めて、余裕って大事。多方面の方にご迷惑おかけしました。
プロトタイピングをする中で勿論技術的に身についたこととか、アウトプットの難しさだとかいろいろ感じることがありますが、今振り返って思う一番の収穫は辛い経験を通して色々自分の取り扱いが少し掴めたことかもしれません。
今後の人生で200%生きる収穫だな、と思いました。
あとは単純にアウトプットの自分の最適なペースがつかめそうとかでしょうか。
週1の強制がきついなら、2週に1回の任意なら自分のペースつかめそうとか、色々考えたりしています。
これからを眺める
クラウドファンディングという最終課題がこれからやってきます。
何を作りたいかは固まっていて、あとは少しずつ作っていくだけなので自分のペースを考えながら、モチベーションをうまく保っていくことが肝要かなと感じています。
自分のペースで進めるのが好きとはいえ、自由すぎるとサボるという自分の性質をうまく考えて、例えばこまめに記事にするとか人に発表してみるとか機会を作ってみてもいいのかもしれません。
これからも必死こいて頑張りすぎない程度に頑張っていきたいなあと思います。
読んでいただけるだけでも十二分に嬉しいです、ありがとうございます!