明るい話がしたい

私はネガティブ人間だ。周りからどう見えているかはわからないが…。それでも何か明るいことを考えたいと思って、幸せを感じた時のことを思い出してみた。

去年は新型コロナウイルスの影響で、やれリモートだ休業だで自宅にいることが多かった。元から出不精な私は別に不便はしていなかったし、むしろ移動に体力を使う必要もなくそれなりに快適だった。通学時間がないからギリギリまで眠っていられるし、家に居れば空いた時間で洗濯だって干せてしまうし、それはそれは充実していた。そして何より、飼い猫と一緒にいられることが嬉しかった。暖かい陽だまりの中で眠る猫をみていると、世の中の大半のことはどうでもよくなる。これこそが幸せだと思う。そりゃまあ、私は幸せ者だという自覚はある。家があり、家族もいて、友人もいる。実家暮らしでご飯だって大抵は親が作ってくれる。それもおいしいご飯だ。世界一おいしい。でも、そんな幸せ者のくせにネガティブ思考にとらわれる自分の事が許せなくて、またネガティブに…なんて事もあるから、人間の思考は単純なものではない。厄介。

話が逸れに逸れまくった。そう、猫といる時間が幸せという話だ。私は5~6年程前、猫を飼うと言い出した母親の意見には否定的だった。自分の面倒もみれない人間にペットを買う余裕なんかないと思っていたからだ。それは今でも変わらぬ考えだ。しかし現状、飼い猫がいない世界で生きていけるか不安なくらいに溺愛してしまっている。
生き物と生活していれば、確実に別れはくるものだ。私は昨年に祖母と、そしてもう1匹飼っていた猫を亡くした。これを言うと人間としてどうなのかとも思うが、祖母の時より飼い猫の時のがダメージが大きかった。祖母の死に関しては、あまり実感が湧かなかったというのもある。対して飼い猫は生活の一部であり看取りもしたため、いなくなってしまった現実は重くのしかかってきた。

その経験があるからこそ、今飼っている猫がいなくなるのが怖い。少しでも長く一緒にいたい。何をするのも時間が惜しいくらいに一緒にいるのが幸せだ。と、スヤスヤと眠る猫を眺める幸せの裏で、またネガティブ思考を巡らす自分には若干呆れる。まだ当分明るい話はできないのかもしれない。

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