見出し画像

いつかあのまちで暮らしてみたい

パートナーが初めて東京から離れる展望を口にしたのは、今から5年くらい前の付き合って間もない頃だった。特に北海道に惹かれていると。

他愛もない会話の中でライフプランに触れる時にはよく聞く台詞だと思うのだが、私はこれを聞いた時に

「この人、そう遠くない未来にとても遠くへ行くぞ」

と根拠もなく直感したのを覚えている。

普段はどちらかと言えば慎重派のパートナーだが、自分の中で「正解」が見えた時の瞬発力は凄まじい。きっといろんな条件がそろった時、あっという間にこの人は飛んで行ってしまうぞ……

そして時間をかけてゆっくりと、着々と「条件」は揃っていき、ついにこの前、それは現実になることが決まった。

同じ境遇の人の参考になれば……みたいな大義名分より、純粋にこの転機を書き残しておきたい。ある種の覚悟も決めたので、備忘も兼ねて書いてみる。

ちなみに、この文章は本人の了承を得て公開しているのでご安心を!


移住が現実的になったきっかけ

大きな転機は去年の春、パートナーが北海道の斜里(シャリ)というまちに魅せられたことから始まった。そこではまだ始まって間もない夏の芸術祭が開かれるそうだ。

「今年の夏、1か月くらいここへ行ってみようと思う」

と言われた時は生きてきた中で一番大きく息を吸い込んだ。間違いない、その時が来た。
実際、あらゆる縁がパートナーをそのまちに引き寄せ、最終的にはなぜかその芸術祭をお手伝いできるという流れになっていた(初めてその土地を訪れるのに)。
その引きの強さは、一度向こうへ行ってしまったら、もう二度とこの人は東京に帰ってこないんじゃないか?とすら思えたほど。

その時の私は会社員をしていて、あと3年くらいはその会社で働くつもりだった。地方での生活に魅力も感じるけれど、何より昔から今に至るまで東京の地元がかなり好きで、そこを離れて別の土地での生活を始めることは考えられなかった。

ちなみにその斜里、どのくらい遠いかというと

このくらい。

もし相手が向こうに行ってみて、
本当に「ここで暮らしたい」と思ったとしたら……

そう思った日から始まった、話し合いに次ぐ話し合い。それはもう、めくるめくような人生観、死生観、対人観のすり合わせだった。

移住すると決まった訳ではないのに夏の長期滞在の段階でここまで事が大きくなったのは、私たちがどちらも東京の実家に住んでいて、このまま順当に行けば東京で一緒に暮らし始めるのでは?という暗黙の了解があったことが大きい。
むしろそこを1つの「ゴール」としてきたのだが、片方が移住に魅力を感じているのであれば、そのプランに関しても実現前になるべく早く路線変更をする必要がある。

最初の頃は

「1か月行くだけだから大丈夫、安心して」

と楽観的に励ましてくれる相手と、

「めちゃくちゃ応援したいんだけど、行ったら絶対すぐ移住しますやん」

と頑なに悲観し続ける私の発言が平行線を辿っていた。

ただ平行線も上から手書きで何度もなぞれば少しずつ軌道が変わっていくように、短期滞在の出発が近づくにつれ、だんだんお互いの認識の境界線はグラデーションになっていった。

どちらの言うことも割と現実的で、考慮しておくべき内容。

こんな感じの共通認識が出来たころ、こうなったら本気で応援するしかないと私も腹が決まってきた。
半ばやけくそで芸術祭を観に行くための有給をとり、飛行機を予約した。フン、私の付き合っている人をそこまで魅了するそのまちとやら、直接行ってやろうじゃないの…..

そんなライバル面で初めて乗り込んだ斜里は、思ったよりも素朴で身近な印象だった。海も山もあるが過度な観光地化はされておらず、むしろ手付かずの様子がやや不愛想で、でもそこが居心地よく愛らしい。何より地元を静かに愛する人たちの毎日の暮らしがそこにあった。

相手がこのまちに魅力を感じているということに、心から納得してしまった。

移住が決まるまで

夏の長期滞在が終わり、無事にパートナーは東京へ帰ってきた。意外にも、そこからとんとん拍子に移住に話が転がった訳ではない。

事が動いたのは、相手が今年の春に大学を卒業して、進路選択の岐路に立ったタイミングだった。

一度は「東京で一旦共同生活をしてみて、要領がつかめてきたら一時的に遠距離になる」こともプランとして挙がっていたので、相手は東京での就職も模索していたのだが、どうにも「これだ!」という選択肢が見つからない。

このあたりから別離の不安よりも「この人はこのまま東京で燻ってしまうより、思い切って斜里でやりたいことをぶちかました方が……」という気持ちの方が大きくなり、逆に私が移住を勧めるようになっていった。

ちなみにこれは私が決して「理解ある」人だったからではない。もし私が意のままに相手の人生を曲げたとして、その翌日ぐにゃぐにゃの人生だけを残してあっさり事故で死んでしまったらめちゃくちゃ恨まれちゃうじゃ〜んという責任転嫁の発想だ。

そんなこんなで移住が現実味を帯びてきた頃、パートナーが斜里町の「地域おこし協力隊」の求人が出ていると打ち明けてくれた。

(内心大汗をかきながら)とりあえずエントリーシートを書いてみることを勧めて、書けたものを見せてもらった。相手は仕上がりを気にしていたけれど、私の感想としては「こんなん受かっちゃうじゃないか」の一言。

文章の端々から、親戚も顔見知りもいない初めての土地にたったひとりで1か月飛び込んでみなければ分かるはずもない生々しい実感が溢れ、斜里への大きな愛が盛り込まれていた。

そんな訳で、無事にパートナーは活躍の場を手に入れ(本当にめでたすぎる)、
同時に私たちの「付き合って6年目から遠距離」というあまり聞き覚えのない路線変更が決定したのだった。

私はどうする

事が進むに連れて「これもしかして人によっては別れを選択するくらい大きなこと??」という実感が湧いてきた。そりゃそうか。

実際既に何度か「別れるの?」「鹿の子も移住するの?」と訊かれているけれど、今のところ私は別れるつもりも、相変わらず東京を離れるつもりもない。

前提として、近くにいても離れていても、私たちはそれぞれの気持ちの中に絶対的な孤独を抱えている。例え交際歴が10年になろうと結婚しようと、それは変わらないと思う。
相手の孤独は自分に拭いきれないことを実感する時、地団駄するほど悔しくなることもあるが、ふとした時に「そう言うお前はどうなんだ」と自問したら少し気持ちが楽になった。どれだけ大切な人と付き合っていようと、失いたくない友人たちがいようと、薄まらない孤独を私も含め誰しもが抱えている。

どうせ誰といても孤独なら、悲しみや苦しさを見せられる、私の涙を捻じ曲げようとしてこない人と生きていきたいと思う。あとはまあ出来れば、私と同じようにビールと日本酒の好きな人だと有り難い。

それを考えると、あの人と同時に味わう苦難はなんだか大丈夫なんじゃないかという気がしてくる。

そもそもこれを書いている私だって、今年に入ってすぐ3年勤めると思っていた会社を退社&転職して、さらに自分の独断で起業した。ドンガラガッシャンとやりたい放題やっているのは、全く持ってお互い様だ。

むしろ向こうが999km先に移住 & 初のひとり暮らし & 新しい仕事に同時挑戦するなら、負けてられないんじゃない!?

私は「生きようとする力が強すぎる」といろんな人から既に引かれているけれど、こうなった以上より本気(ガチ)で生活と仕事をして、実家だって出て、自分の足で得た糧で何度だって相手の家に押しかけて(時には帰ってきてもらって)、東京でも遠い地でも新しい景色をたくさん目にしようと思う。

そうやって健やかな孤独と確かな自立をそれぞれの世界で叶えることが出来た時、きっと私たちに何らかの形で次のニュースが生まれてくるのだと思う。

という訳で引き続き、この世界に変な交際関係の前例を増やしていきたいと思います。

やるしかねえ!!!!!

スキすると鹿の子の無責任占いがついてきます