間に合わなかったこと(兄が逝って5カ月)
コロナ禍に肺がんで入院していた兄とは、長いこと面会もできなかった…。
だから、なんだか今もどこかの病院に入院しているような感覚がある。それでも波のように…繰り返し喪失感は迫りきてはひいて行く。
伝えたかったことが…たくさんある。話したかったこと、ききたかったことが…間に合わなかったことたちがこころに澱のように重なっていく。
5年前に私がいわゆる自死未遂(死にたいと思ったのではなかったが)をして入院したとき、兄も見舞いにきてくれた。そして歯ぎしりするようにして声を押し殺しつつ叱ってくれた。
『…彫刻家じゃないんだからよお!』
私が刃物を持ったと知ってのことだろうけれど、彫刻家ならいいの? と思ったが 何も言えなかった。
兄はたしかに私にとって兄なのだけれど、私は彫刻家としての彼の大ファンでもあった…そのことも伝えていない。
語り合いたかったこともたくさんある。
私は勝手に、兄のスフィンクスのシリーズは彼の一種の自刻像のような作品群なのだろうと思っているのだが
私がヨーロッパの美術館で初めて両性具有神の大理石像をみたときのことを話すこともなかった。
その彫刻を見たとき、私はなんという深い孤独だろうとおもった。
両性具有…誰ともひとつになることのできない存在の 恐ろしい孤独について語り合うことも叶わなかった。
間に合わなかったことばかりだと途方に暮れる。
もう彼の新作を観ることもできない…。私の作品をみてもらうこともできない。
スマホには、彼の、3月の日付のメッセージがある。