「Craft × Tech」Yoichi Ochiai × 置賜紬
昨日、ナマ落合さんに会いたい、というミーハー心から、こちらの講演会に参加してきた。
伝統工芸とテクノロジーを繋ぐプロジェクト「Craft × Tech」
公開レクチャー Vol.3「Yoichi Ochiai × 置賜紬」
於: 東京大学先端科学技術研究センター ENEOSホール
伝統工芸×テクノロジー、というと私に思い浮かぶのは以前記事に書いた池田晃将さんの作品だ。
池田晃将さんについて ↓
池田さんの場合はひとりの人間の中に伝統工芸とアートが同居している感じだが、今回の「Craft × Tech」は、東北6県の土地に根ざした伝統工芸に、それぞれ別のアーティストがコラボするという企画である。
今回はその6つの組み合わせの中のひとつ「Yoichi Ochiai × 置賜紬」についての公開レクチャーとのことである。
まずは山形県米沢の伝統工芸「置賜紬」について、新田源太郎氏の講演があった。
次にコラボパートナー落合陽一氏の講演があった。
落合氏の講演内容を私の言葉にする自信はないので、スライドで感じ取って欲しい。
今回のコラボのネタバレになりそうなスライドは載せていない。
その後、吉本英樹氏(「Craft x Tech」の発起人・総合プロデューサーであり、自身も参加クリエイターの一人)の司会で新田源太郎氏、落合陽一氏の対談があった。
織物とコンピュータの親和性や、世界+世界−、質量+質量−にあてはめつつ自然、民藝、伝統、伝統工芸、身体性、などのキーワードが展開した。
その後、高裕一氏(化学品商社。二酸化炭素やとうもろこしからつくる繊維を開発)も加わっての鼎談となった。
最後に質問タイムになり、私は手を挙げた。
「絹は持続可能ですか?
生き物を使っていますが」
どんな言い方をしたかよく覚えていないが、趣旨は動物倫理的なことだ。
絹にプライドを持ってものづくりされている伝統工芸の職人さんに、思い切ってぶつけてみた。
不躾だったと思うが落合氏からはいい質問だったと言ってもらえたのでよかった。
新田氏は、養蚕業の歴史的、地域的、需要と供給などの観点からご回答くださった。
落合氏は動物倫理の観点を踏まえ、人は食べない動物に優しいが、蚕と人は共生の長い歴史がある、養蚕は水田と同じ、という判断をくださった。
高氏は、ご自身が蚕の成虫をご覧になって口がない、などの人がつくった生き物であることを実感した経験から、そもそも養蚕のための生き物であるということを知るのは大事なのではという意見をくださった。
私が絹は持続可能なのか?という疑問を持つようになったのは、まさにその蚕の成虫を実際に見たからである。
家族が蚕の飼育セットというのを購入したことがある(ネットで買える)。
成虫になってからのエサはない。成虫には口はなくエサを食べることもなく、羽があっても飛べず、時間が経って死ぬのみだ。人がつくった生き物、という哀しみを感じた。ただの感傷である。
先日公演を観に行った舞踏家の最上和子さんが、舞踏の衣装についてTwitterで語られている。
さもありなんと思う。絹の歴史や価値は言うまでもない。
それでも、と思う。
狩猟民族がケモノを狩り、肉を食べ皮を利用し命を丸ごといただく、というのは理解できる。
食べることは生命維持に必要なことだ。ではオシャレはどうだろう。
オシャレのために毛皮のコートを着ることは今ではアウトになった。
象牙細工もアウトになった。
絹は虫だからオーケー?
化学品商社の高氏が自己紹介されたとき、何故自分がここにいるのかわからないとおっしゃったが、この部分ではないかと思う。
絹と同等またはそれ以上の繊維をテクノロジーで作れたなら、大量の蚕を茹でなくてもいいのではないだろうか。
今回の「Craft × Tech」は、伝統工芸×テクノロジーというよりは伝統工芸×アートだと思う。×テクノロジーならばそれは素材にも踏み込んでいってもいいと思う。
伝統だから聖域ということではなく、未来に続く工芸に期待したい。
追記
小学生が野蚕を死なせずに糸をとる方法を考案、というニュースがありました。(2/19)
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