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未来のコドモ

しばらく落合陽一にはまり続ける。
「ニッポン2021-2050 データから構想を生み出す教養と思考法」落合陽一×猪瀬直樹
2018年10月初版発行

コロナ東京オリンピック前夜といったあたり。では古いかというとそんなことはない。そんなに日本は変わらない。

この本の中で私に一番刺さったのは、限界集落についての話題で出てきたこの言葉だ。

こうした議論をするなかで出てくるのは、「いま住んでいる人の気持ちはどうなんだ」ということです。もちろん、いま住んでいる人たちや現場の声を尊重するのは不可欠です。ただし、絶対視していたら改革はできません。それは極論を言えば既得権益の肯定でしかなく、むしろ未来の人たちの機会を奪うことにつながります。

(太字カンナ)

私たち大人は、未来の人たちの機会を奪っていないだろうか。自問するきっかけとなった。

落合氏には3人のお子さんがいる。このことは非常に大きいと思う。
私たちは大人になって社会に出る頃になると、もう子どもが身辺からいなくなり、興味関心もなければいないも同然になる。
私自身、自分が出産するまではそうだった。自分の人生を充実させることのみに関心がある期間が続いた。
自分に子どもができて初めて、自分の子ども時代を思い出したり、親の苦労を知ったりなどがあるわけだが、加えて若い世代を間近で観察できるという点が大きい。

20代の息子は24時間イヤホンが耳に刺さっていて、ゲームしながら全然関係ない動画の音声を聴いている。脳内どうなってるの?と思う。
赤ちゃんは絵本を齧る。だから赤ちゃん用の絵本は分厚いボール紙でできている。今の赤ちゃんはスマホを齧っているらしい。果たしてどんな人間になるのやら。
デジタルヒューマン?デジタルネイチャー?

落合氏のお子さんが障害を持って生まれてきたことが、障害を当事者として捉え、障害があっても楽しめるコンサートの仕掛けなどの開発に繋がったのだろうと思うと何か大きな意思を感じずにはいられない。
力を持った者が当事者にならないと変革は起こらないからだ。もしも男性が妊娠出産をする立場だったらとっくに無痛分娩が一般的になっていただろうというようなことだ。

結婚するしないは自由、子どもを産む産まないも自由、だけど子どものことを忘れてはいけない。
ふるさと納税で大人がお得に何かをゲットしているせいで税収の減った自治体の小学校の教室にエアコンが配備できなくなったなんてことがあってはいけない。

今老害と呼ばれる人がどんな教育を受けてきたのか、これからの子どもたちの教育に大切なことは何か、子どもが身近にいなくても考えることで未来をイメージできると思う。
未来を創造するどころか既得権益にしがみついて、未来の人の権利機会を侵害していないか、見つめ直していきたい。



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