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都市伝説の街頭詩人

昨日の文学フリマは、売り手も買い手も心から楽しんでいるような、とてもハッピーな空間だった。
私も満ち足りた気分で買い集めた本の束を眺めていたが、ふと頭をよぎるものがあった。

新宿駅で路上に立ち詩集(「志集」という漢字を使っている)を売り続けた女性のことだ。

気になって検索してみると、彼女について詳しくまとめている記事があった。

この記事をじっくり読んで、その長い年月と生き様のポエジーに茫漠たる宇宙を漂う気持ちになった。

私もかつてこの女性に度々遭遇し、ある時意を決して志集を購入したひとりだからだ。

この記事を読んで、私が彼女とよく遭遇したのは彼女がこの活動を始めた初期の頃だったこと、私と彼女がおそらく同年代であることがわかった。
彼女は新宿の前に、始めは渋谷駅で立っていて、同じ頃私は毎日渋谷駅を利用していた。
私の記憶では首に下げた看板に「私の志集買ってください」の文字があったので、この記事にある通り初期だったことがわかる。

駅構内にたち、首から看板を下げじっと虚空を見つめている彼女は、ものを売っているにも関わらず人を寄せ付けない空気を纏っていた。
この記事にもある通り、道行く人は彼女の存在が気になりながらも、実際に彼女から志集を買う、という行動に出るにはこちら側に何かしらきっかけが必要になる。そこが読者として相応しいかどうか試されるところ、というわけだ。

私にも思い当たる節がある。当時は新卒で3年勤めた会社を辞め、新しい人生に向けて歩み出したころだった。
そんなタイミングだったから、彼女に声をかけて、志集を購入することができたのだ。

せっかく購入できた、今となっては貴重な志集なのに、長い月日のどこかで処分してしまい、今は手元に残っていない。内容は、ものすごく年上の夫との、愛情についての詩が多かったように記憶している。

失ってしまったものは仕方ない、記憶は薄れていくのみだが、今はネットのおかげで記憶を補完してくれるこのような記事に出会えるのだから有難い。

新宿には新宿の独特の世界があり、そこで彼女を応援し続けた方もいらしたようで、ほっとする気持ちになった。

駅に立ち志集を売り続けるという人生を生きた彼女と、私の、一瞬交差した30数年前の渋谷駅の雑踏を、今も思い浮かべることができる。

詩を書き、それを売る、という行為が何を意味するのか、彼女のことを考えながら、思いを巡らせている。


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