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【連句コラム 4】付合手法
私は俳句の勉強をしたことはないんですが、連句辞典にこんな記述がありました。
夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉
この有名な発句は、「夏草や」という前句に対して、「兵どもが夢の跡」という付句をした形になっている。「夏草や」にはその場の叙景と感動が籠められている。「兵どもが夢の跡」には荒廃した戦場と人間の営為の空しさに対する感動が籠められている。そして、この二つの部分がそれぞれ孤立している間は、まだ十分な芸術性を発揮していないが、この二つの部分を付け合わせることによって、一つの幻の世界が読者の胸の中に浮かび出で、深い感銘を与える芸術と生まれ変わる。俳句というものの大部分は、二つのものを付け合わせ新しいものを生み出し、それによって人を感動させるものである。そして、俳句がこの作業を五・七・五の十七字の中で行うのに対して、連句は五・七・五の長句と七・七の短句、この二つの部分の間で行うわけで、形の上ではやや違っているが、その手法は根本的には全く同じである。これが連句の付合である。
二つのものを付け合わせて新しいものを生み出すことで感動を呼び起こす、それが俳句で、連句もまた同じであると言っています。
連句には付合の手法として、物付・心付・余情付などの区別があります。
物付
前句のことばを手掛かりにして、そのことばに関係することばをもって連想発展させる契機とした付合手法
心付 (句意付)
前句の意味を踏まえて、その理由・原因・結果など意味上での脈絡をもって付ける手法
これらの論理的な発想基盤に立った付合の手法に対し、論理的脈絡を断ってから付けるのが芭蕉連句の余情付という手法です。
余情付
俗に匂付とも呼ばれます。
「匂い」は、前句と付句を並べて鑑賞するとき、映発する気分・余情・風韻によって分類される移り・響・位などと同列に扱われるものの一つです。
物付のようにことばに頼ったり、句意付のように意味に頼って付けるのではなく、前句との余情を重視して付けるものです。
……何言ってるかわかりませんよね。
意味上の付け筋は明確に示されず、余情付の意味上の脈絡には、余情によって埋め合わされる距離的な空間が存在する、と。
わかりますか?
前句に対してどのような意味で付けたということがわかるように付けるのではなく、感合・映発する余情の筋によって付けるのが、余情付になります。
どの付合手法がいいということではなく、それぞれあるということでいいと思います。
余情付ってなんでも有りになりそうですよね。
前句に「付き過ぎ」が無粋だとしても、あまりに鑑賞者が理解不能な付けになってもそれはまた興が削がれるような気がします。
参考文献:「連句辞典」東明雅、杉内徒司、大畑健治 編
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