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「砂時計」芦原妃名子を読んで

男性歌手が「君を守りたい」とか歌ってるの聴くと、別に守ってもらわなくて結構ですから最低限自分のことは自分でやってくださいって言いたくなる。なるよね?!既婚女性の皆さん!?
幸せにする、幸せにして、無理無理。人は自分ひとり幸せにするのが精一杯。誰かを幸せにしたいとか、誰かに幸せにしてもらいたいとか、思ってたら幸せにはなれない。

そんなことを思ったのは、久しぶりに昔の少女漫画を読んだから。
面白いと勧められて、芦原妃名子の「砂時計」を古本で入手して読んだ。コミックスで全10巻、主人公たちが12歳から大人になるまでの物語。20年前の作品だ。
田舎の幼なじみものということで、くらもちふさこの「天然コケッコー」とも印象が被った。話が始まってすぐに主人公二人が付き合いだしてからの紆余曲折ストーリーというところも似ている。これらの作品よりもっと前の時代の少女漫画は、片思いの話がほとんどで、両想いになる事がゴールだった。恋に恋する片想い物語より、付き合うようになってからのモヤモヤがリアルで面白い。
いずれにしても、ああ少女漫画だなぁとしみじみ思うのだ。
私の小中学生時代は、「別マ」(別冊マーガレット)と「りぼん」と共にあった。主人公たちの恋愛話に胸ときめかせ、こんな恋をしてみたいと憧れていた。今思えば、すっかり少女漫画に洗脳されていた。
「砂時計」の話に戻る。
大悟が教師になりたいと明確な意志を持って猛勉強を始めた頃、杏は進路に何の目標もなくなんとなく短大に進む。女の子は短大、の時代だ。(ちなみに私も短大卒)短大というこの中途半端な学歴は本当に心もとない。
杏にとっても短大時代は何ものでもないらしく、ストーリーから丸ごと省かれて高校生から二十歳に飛んでさらに26歳まで飛ぶ。若い時代の貴重な期間がなんでもなく過ぎてしまったばかりかその後のOL生活もパッとしない。
「砂時計」に於いて、大悟は恋愛は恋愛として自分の人生はちゃんと歩んでいるのに対し、杏の人生は大悟なしには進行しない。別の男にふらふらしているだけである。
少女漫画に洗脳されてきた、というのはこういうところだ。普通の女性が、自分が何をして収入を得て生きていくか考えることもなく、ただ片想いなら両想いがゴール、両想いなら結婚がゴール、と恋愛だけで生きていくのだ。
今の少女漫画はどうなっているのだろう。幸せにしてほしいでも幸せにしてあげるでもなく、自分で自分を幸せにする物語であって欲しい。

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