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「金魚と日本人」を読んで

「金魚と日本人  江戸の金魚ブームを探る」
鈴木克美


日本人に親しまれ愛されている金魚。そもそもは中国から伝来したものだそうだが、今では最も日本的なアイコンの一つと言っていいだろう。
その金魚が日本で一般的になった過程を主に江戸時代のブームに視点を据えて探る。
日本に於ける金魚の歴史を紐解いていくが、結局のところ「はっきりしない」
まず金魚がフナからできたというのは知られているが、フナという魚は存在しなくて、「どのフナ?」というところからわからない。

ヨーロッパブナ、アムールブナ、アジアブナ、ギンブナ、ニゴロブナ、ナガブナ、キンブナ、オオキンブナ、ゲンゴロウブナ……どのフナ?


品種を増やしていった系統などもしっかり管理されているかと思えばそんなこともない。水族館に展示されないくらい、金魚がどことなく軽視されてきたせいかもしれない。
金魚の歴史で面白いと思ったのは、ガラスの普及とともに広まったということだ。
宣教師が運んできた舶来品の中にびいどろがあり、日本でもガラスの生産が始まった。最初は小さなものしか作れず、握り拳大のガラス玉の中に金魚を入れた「金魚玉」が人気となった。


「小さい」ということが一つの大事な要素だった。
江戸に人が集中して住むようになり「都市」となった時、そこに「縮みの文化」が生まれた。それは「窮屈な都会に入りこみ、狭い裏長屋で零細に暮らしてなお、非都会的、田園的環境への接点を求めた人々の生活の知恵」であった。
絵草紙、俳句川柳、版画、芝居見物、江戸でさまざまな文化が花開いていく。過密都市の狭小住宅に住んでいても四季の自然の変化は味わいたい。雪見、花見、花火、月見、等の行楽、家庭行事が盛んになった。家が狭いので行楽を求め、寺社の縁日から名所巡り、伊勢お陰参り、と遠出するようになった。
このあたりの経緯になるほどと思った。壮大な大自然の中に暮らしていたら壁に風景画を飾る必要もないわけだ。
金魚の流行と園芸熱もどこか共通している。
室町時代まで日本人は自然の花を愛でていた。植栽し、手塩にかけて育てた花の美しさを鑑賞するようになったのは江戸時代からだという。
このように、狭い都市生活において、時に荒ぶり手におえない自然というものの良いところだけを摘み取り小さく綺麗にまとめて鑑賞して愛でる、それが江戸で生まれた文化だったのだ。
「一般的な日本人の脳裏にある「自然」は、西欧流の「自然(ネイチュア)・人手の加わっていない状態」とは、明らかに違うようだ。」
金魚の歴史を知ることで、江戸、現代の東京、日本の文化、自然観についての見識を深められてよかった。

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