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「廻り路」を読んで
昨年11月の文学フリマで購入した本です。
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本のつくりは内容とも響き合うものであるし、文庫本スタイル、紙質、とても良いと思いました。
その神社の境内には、手紙の生る木があるというので有名であった。山中に打ち捨てられたように獣道の参道を歩いて行った先にある社は、思いがけず手入れが施されていて、いつでも朱塗りの美しい鳥居が待ち構えている。こぢんまりとした社の周りはすぐに森で、それに紛れて一本だけ立っている御神木、育ちきっていない貧弱な銀杏の木がそれだ。その木は葉をつけることも実をつけることも地味で、よく見なければそれが銀杏の木であることにも気がつかないであろう。
文学フリマの前にどのブースを回ろうかと情報収集しているときに、この冒頭部分を目にして惹かれました。
読み始めて世界に没入していき、その時代感覚にも浸れて読後は静かな余韻を味わいました。
不器用なラブストーリー、想いが遂げられているのに伝え切れていない気持ち。
「ちゃんとコミュニケーションとろうや」って言いたくなるところです。
そこができないところが文学なのですが。
構成上、「いろは」の「ろ」から始まってるのなんで?って思いながら読むわけですが、最後に全く想定外の展開とかあってもよかったかな、なんて思いました。
とてもしみじみとしたし、「大事なことは生きてるうちに伝えないと」って思いました。
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