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現代詩手帖2024.5|パレスチナ詩アンソロジー
わたしが死ななければならないのなら
あなたは、生きなくてはならない
「わたしが死ななければならないのなら」より
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私は残酷な映像を直視できない。
けれど詩を読むことはできる。
自分事ではないどこか遠くの出来事として画面越しにみるニュース
もはや流れても来ないニュースよりも
文学は直接心に届く
文学の力
翻訳の力を
これほど感じたことはなかった。
ガザで起きていることを「人間の出来事」として理解し受けとめることが、いま何より必要で、それができるのは文学による表象だと思ったからです。
アラブ文学では詩が王道で詩人も多い。そもそも小説は近代の西洋で発明され、植民地主義の結果、世界に広まったものですが、人間の文化としては詩のほうが普遍的です。
詩が普遍的というのは、小説が文字の文化固有のものであるのに対して、詩を持たない文化はないという点で、人間の文化にとって普遍的であるという意味です。
人文学は七十九年間、幾夜もホロコーストの証言について語り合い、倫理的教訓を導き出してきた。その全時間が、イスラエルと世界がパレスチナに加えてきたあらゆる暴力から注意を逸らしただけなら、人文学は今自ら燃え上がりガザのパレスチナ人を暖める紙くずにも劣る。そうでないことを私たちは証明しなければならない。
生きるか死ぬかという時に、文学になんの意味があるのか?
文学が、
翻訳者の熱意で翻訳された文学が
どんなテクノロジーよりも
人と人を繋ぐのだ
現代詩手帖 2024 5月号
品切れ重版中
多くの日本人の手元に届きますように。
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