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落合陽一「日本再興戦略」を読んで

日本再興戦略/落合陽一(2018)


デジタル化した社会について、

「デジタルネイチャー」は、英語では「Super nature defined by computational resources」と説明することが多いのですが、コンピューターによって定義されうる自然物と人工物の垣根を超えた超自然のことです。デジタルとアナログの空間をごちゃまぜにしたときに現れうる本質であり、従来の自然状態のように放っておくとその状態になるようなコンピューター以後の人間から見た新しい自然です。それは、質量のない世界にコードによって記述される新しい自然みたいなものともいえます。それが質量や物質や人間と交ざり合って新しい自然をつくる。僕らの研究室では、それをデジタルネイチャーとして未来イメージをとらえようとしています。

本書より

完全に慣れてしまったものは情報の表現系がどういう形をしているかより、それがどういう本質でどういう対話性があるのかのほうが重要になるのです。

本書より

このあたりを読んでいて連想したことは、ゲームのことです。
綾野つづみさんの記事に、ゲームでの経験が実際の経験に感じられることについて書かれていました。

私はゲーマーではありませんが、昔どうぶつの森にハマっていた頃は、そこらへんで見かけるパンジーやら雑草やら蝶にゲーム内と同じ感覚を抱いていたことがあり、それは他のプレイヤーも同様のことを言っていました。
私たちの脳はいとも簡単にリアルとバーチャルを融合してしまうようです。(簡単にというかある程度の没入の後に)

そのことに何処か警戒心というか普通でないこと、よくないことというイメージがあったかもしれません。けれど、今思うのは、バーチャルの経験も経験であってそれもまた本当の人生であるということです。
都会っ子と田舎っ子では育つ環境がまるで違います。野山に囲まれて自然に親しんで育つ身体経験を積むことこそが大切と思われそうですが、都会で育つことで何かが欠け落ちるわけではなく都会は都会という環境で都会なりに育つというだけのことだと思います。その差が、リアルとバーチャルの差なのかもしれないと思います。
脳が実体験と認識したらそれはもう実体験で、人生の一部で、人格を形成する一部になるのでしょう。

実際に触らないものに関しては、実物とCGの区別がつかなくなるのです。我々が今、生花なのか造花なのかを視覚的にあまり気にしないのと同様に、認知的に無視される世界がやってくるのではないかと考えています。

本書より

“生花か造花か”は今のところ気にするけどな?と思いましたが、これも最近よく言われる「持続可能かどうか」という視点で考えた場合、生花である必要はないのかもしれません。
葬儀で消費される(あえて消費と言いますが)大量の生花、葬儀が終わればゴミになってしまう。生花は棺に入れる分だけでいいのかもしれない。祭壇は映像でいいのかもしれない。費用も抑えられるでしょう。生花の方が「良い」とする判断がどこから来るのか、よくよく考えたら、次の時代のやり方が見えてくるように思います。

民主主義のアップデートについて、

日本の特色として、権利を与えてくれる誰かがいたことがほとんどありません。平等が与えられるという感覚がなじまない。日本人はもっとフラットで自然状態に近いというか、波がザブーンと来るように動いています。ですから、意思決定にAIなどのテクノロジーが入ることにも違和感がありません。

本書より

波がザブーンて、目に見えるようです。日本は民主主義を自ら勝ち取ったわけではないとは言いますが、波間に漂うクラゲの群れのようなイメージは言い得て妙と言いますか。災害の多い国土で培われたすべて受け入れてしまう無我な人々は衆愚とはまた一味違うような気がします。


バーチャルリアリティの世界が広がるにつれて、プライベートという概念も大きく変わります。一言でいうと、情報はもっとオープンになっていって、プライベートというのは、なにかやましいことがあるのではないか、という意味合いになっていくはずです。

本書より

この感覚は、今の若い人と中高年の意識の差をすごく感じます。
アプリで交流してても若い人ほど名前が本名だったり位置情報にも抵抗がない。
危険だし秘密にしたい、と思うのは個人情報保護法が制定された時期を経験していて知られないことが何より大事と刷り込まれた世代なのでしょうか。若い人がオープンなのは、管理社会ネイティブということなんだと思います。老人のほうが秘密にズルしたい、という欲があるのかもしれません。

頭ごなしに否定するのではなくて、むしろ「自分のマインドセットが今風ではないのではないか」と疑ったほうがいい。そういう新しい価値観を受け入れていくほうが生きやすい。それができない人は、ストレスばかりためてしまって、新しい時代の中で、すごくかわいそうな人になってしまいます。

本書より


かわいそうなやましい老人にならないように気をつけましょう。



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