自己診断ADHD

ずっとADHDだと思ってました
小学生の頃から提出物は出せないし、いつも違うこと考えてるし、部屋は誇張なしのゴミ屋敷だし

変わりたいのに変われないと悩んだ中高生時代、ネットで色々検索したら“ADHD”という文字がたくさん出てきて、「あ、めっちゃこれじゃん。」と納得し、救われた気がしました

悩んだ“症状”

まずは、症状と言って良いかはわからないが、わたしの人生においてわたしを困らせてきた特性をずらーっと書く。

  • 提出物

    【小学生】6年間、ほとんどの宿題を未提出。更には夏休み冬休みの宿題も未提出。自由研究だけは家族に助けを求めて提出。

    【中学高校】英語の宿題、数学の宿題、多かったのに溜めに溜めて山のように積み上げて見て見ぬふり。中学高校6年間ずっと留年の危機。担当教員に追いかけ回され逃げ回る毎日。夏休みにある程度まとめて郵送で提出したことも。大好きな生物だけはオール5。

    【大学】今も在籍中の理系学部。出席ギリギリ。レポートやスケッチが多く、いつも友人に助けを求める。提出物や自主的な毎日に対応できず2留。122344で現在4年生。6年制なので先は長い。

  • ゴミ屋敷

    【実家】親の帰宅が毎日遅いので小学生の頃は遅くまで留守番。好き放題やりたいことをやっている毎日で、部屋はいつからかドアの開閉すら難しくなるほど散らかる。片付けてもらっても1週間もあれば元通り。ただ、何がどこにあるかはわかっているので不自由はない。わたしが実家を出てからはずっと綺麗。

    【寮生活】中学からは地元を離れて寮のある学校へ入学し寮生活。案の定の結果に。居室は一人一部屋割り当てられ、ベッドと机と小さなタンスと洗面台でぎゅうぎゅうの3、4畳。そんな小さい部屋すらもゴミ屋敷にリメイクし、友人から呆れられる。ここに書けないくらい汚かった。

    【居候】中高6年間暮らす予定だった寮は、わたしの喫煙による停学で高1の冬で追い出されることに。学校から1時間ほどの場所に住む叔父の家に居候。4人家族の家に奇跡的に空いてた部屋を間借りし、そちらもゴミ屋敷にリメイク。開かずの間にしてしまった。幼いいとこたちに何か言われたら恥ずかしいなと思い時々掃除をしていた。

    【一人暮らし】大学に進学して地元から2000km以上離れた場所へ。一人の気楽さや暇さ、彼女との同棲で基本的に綺麗な部屋へ。時々散らかるも、片付け欲や終活への異常な執着で物は過去一番少なく。今日は汚い日。帰ったら掃除します。

  • 予定管理

    【時間】学校へ行けない。起きれないし起きても何故か間に合わない。人に迷惑をかけるのは嫌いなので待ち合わせは概ね早く着く。

    【スケジュール】上記の通り、提出物に対する計画が非常に苦手で、人生の全ての課題を前日、当日に仕上げる。仕上げないことも。とはいえ忘れてるわけではない。


ざっと書くとこういった感じだ。こういうのを検索するとADHDと出てくる。


病院を受診

ある日、母親にブチギレられ、

「そんなに病気のせいにするなら今すぐ病院行け!」

母親

ということで文字通りすぐ行った。その日予約できたのは大きな商業施設にテナントで入っているいわゆる“メンタルクリニック“で、何ヶ月待ちの病院が多い中、暇なところが少し不安だった。アクセス良いし駐車場広いのになぜ患者さんがいないのだろうか。

まあ、何かしら病名つくだろうな。だって、遊びまくってるわけじゃないのに何もできないし、脳内はずっと課題に追い詰められてるし。

そう思って受診したのに、病名はつきませんでした。

理由は2つ
・特定の予定(友人との約束など)を守れるから
 →ADHDはどんな予定も守ることが難しい
・ADHDを診断する専門は小児科だから


まあでもその先生の話を聞いて、はっきりわかってしまったことがある。

「わたしは恐ろしく怠惰であると診断されたんだ!」


思考の変化

【受診以前】
自分はADHDだからできないんだ!自分に優しくしよ。みんなわかってね。

【受診以後】
ADHDという蓑を脱がされたわたしは怠惰の権化です。全部やればできるということです。やります。


もちろん、数分の問診を受けただけで、わたしに何の問題もないとは言い切れない。ADHDではない何かの特性を持っているかもしれないし、やっぱりADHDかもしれない。でも、この受診を通してわたしの思考は大きく変化した。

まず、ADHDを言い訳にして、一層怠ける癖が収まった。ADHDの人々がそうだというわけではなく、わたしの場合、自身と向き合うことをやめADHDを理由に言い訳をし、周りへ理解を求めていた。

そして一番大きかったのは、真理に気付いてしまったことである。


世の中の真理

胡散臭い書き方をしてしまったが、ある真理に気付いてしまったのだ。

それは、自分がADHDであろうがなかろうが誰も助けてくれないということ。

もちろん、ADHDの特性を持つ人々は助けが必要な場合や理解が必要な場合も多くある。

ただ、わたしの通う学部や将来の仕事は、結局自分が自分で能力を身につけていかなくてはならない。学校の課題もADHDだから免除されるわけではない。

きっとわたしが「病名つきました、優遇してください」と言っても、学校は「できません。退学をお勧めします。」と言うだろうし、母親も「できないならやめるしかないよ」と言っていた。


本当にADHDの診断をされた人も、学校にはいるだろうし、それを理由に怠けてはいないだろう。彼らは自分の特性を受け入れ、人一倍努力をしているだろう。

それならADHDじゃなかったことに心から感謝し、生まれ変わる必要がある。わたしはできない理由ばかり探していた。



まとめ

正直、筋金入りの怠惰の矯正はかなり難しいと思う。しかも自力で。上記のマインド変化は大きく影響を与えてくれたが、それでも面倒なことはやりたくないし学校は行きたくない。ただ、自分を見つめ直し理解することは、何かを変えてくれると知った。それだけでも大きな成長だろう。

今年度は人並み以上の結果を出さなきゃいけないが、この気づきを武器に、努力のプロになっていきたい。

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