性格と親の関係

わたしは気丈だ。

昔からというわけではなく、年々そうなっていった。
これには母の存在が大きく関わっていると思う。


気丈遍歴(?)


母の救急搬送

母は体が弱く、わたしが幼い頃から救急車で運ばれることが何度かあった。
初めの頃は「ママが死んじゃったらどうしよう」とひどく怯え、心臓のどくどくする音をうるさいくらい感じていた。

中学生の頃は、心配で不安でどうしようもない気持ちをグッと堪え、病院に必要な保険証やお薬手帳などをまとめ、母の身支度を介助した。

高校生の頃は、慣れすぎて、母が倒れたという叔父からの電話を、「わかった」と流した。叔父は驚きながらもわたしをROUND1まで迎えにきて病院に連れていった。その時ちょうどわたしは、親友二人に誕生日を祝われていた。


祖母の救急搬送

2年ほど前、5つ下のいとこの何らかのお祝いをしに家族で中華料理を食べにいった時、祖母が倒れた。

食後、トイレに行った祖母はなかなか出て来ず、様子を見に行くと文字通り”ぐちゃぐちゃ”な状態で床にいた。完全に救急車案件。

喫煙所に行っていた母と叔母をいとこに連れ戻してもらい、その間わたしは、祖母の意識を確認しつつ、話しかけ、楽な姿勢を取らせた。もちろん自分が汚れることなど気にせず、一心不乱に救命活動をした。

母は棒立ち、叔母はわたしの手助け、いとこは不安そうな表情を浮かべ、トイレにはわたしの呼びかける声が響いた。

ちなみにわたしは生粋のばあちゃん子で、子供の頃から祖母の死が怖くてたまらない。そんな不安を尻目に、祖母があまりにもパワフルなため、年々「不死身なのかな」と思うようになっていた。

それなのに祖母がこんな姿になっていて、わたしが冷静なはずがない。それでもなぜわたしが介抱しているのかというと、母がすぐパニックになるからだ。

普段祖母以上にパワフルで、女手一つでわたしを育てた母は、ここぞ!という時に頼りにならない。この時も「死んだらどうしよう」「死ぬよねこれ」と慌てふためいていた。

そんな母と生きてきたわたしは、ここぞ!という時に強くなるしかなかった。


結果的に祖母は助かった。


空き巣

今年の1月、我が家に空き巣が入った。
わたしは実家を離れているのでよくわからないが、母が甥や姪に渡すつもりだったお年玉や、夏目漱石の旧紙幣など、現金30万円近くがごっそり失くなっていたらしい。

その時も母からパニック電話がかかり、わたしが警察を呼ばせた。
「警察ってどうやって呼ぶの!」がこの日のパンチラインだった。

家に知らない人が入った気持ち悪さは十分理解できるが、知能まで盗まれたのだろうか。

ちなみに警察の見解では、
合鍵を持っているわたしが1番有力な犯人候補らしい。
日本の警察はこれだから馬鹿にされるし、馬鹿にされろ。
わたしは怒っている。



祖母の”術後せん妄”

時は進み今から2日前、前述の祖母が、動脈硬化の治療のためにカテーテルによる手術を受けた。予定より大幅に時間がかかり、麻酔も2度追加したらしい。原因は、動脈硬化が予想以上に広範囲だったためだ。

局所麻酔ということもあり、かなり恐怖を感じた祖母は、手術中断を求めたらしい。あと少しというところでそんなことできるはずもなく、中断はしてもらえなかったみたいだ。

その時のストレスや年齢が起因して今彼女は、”術後せん妄”という精神障害を引き起こしている。

術後せん妄とは、手術をきっかけにしておこる精神障害で、手術の後いったん平静になった患者さんが1~3日たってから、急激に錯乱、幻覚、妄想状態をおこし、1週間前後続いて次第に落ち着いていくという特異な経過をとる病態をいいます。

健康長寿ネット

現時刻は午前3時だが、1時間ほど前に母からパニック電話がかかってきた。「〇〇(祖母)から意味不明なメールが届いた!」

メールの内容は現実とかなり異なるもので、わたしも不安になった。そもそもこんな時間の電話は最悪の事態を想定してより一層不安だ。

その不安と同時にわたしは母に腹を立てた。そんな電話してくる前に、病院に電話したらいい。わたしに電話したところで何も解決しないし、時間は進んでいる。もたもたしないでくれ。本当に手遅れだったらどうする。

結局わたしが病院に電話をした。

看護師さん曰く、せん妄だろうと。とても親切だった。


結論

長々と書いたが言いたいことは、わたしはなるべくして気丈になったということだ。

上記以外にも、ここで書けないような波瀾万丈な出来事がたくさんあった。本当にたくさん。

その過程で、無駄な時間が心底無駄に感じるようになり(小泉構文)、「だったらどうする?」を常に考えてきた。

結果、母にとってわたしは、冷酷なほど気丈な人間に見えているらしい。


性格というのは、遺伝しないと思う。わからないけど。

成長とともに、大人の様々な要素を取捨選択して人格ができていくと思っている。母のパニック体質はわたしの成長の過程で選択されなかったようだ。

それでも悲しい時は泣くし、受け入れられない現実だってたくさんあるが、悩む時間がかなり短い。「じゃあどうするか」を考えなくては状況は変わらないから、切り替えが人より速いだけなのである。

それがわたしの”気丈さ”の所以だ。


さいごに、母の名誉のためにこれだけは言わせてほしい。
彼女は誰よりも頭が良く、リーダーという言葉が相応しい人間なのである。


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