【躁うつ日記#10】久々に

#09からだいぶ間が空いてしまい「別の機会に」と締め括った内容はすっかり忘れてしまったが、また最近変化があったので書こうと思う。

実は、病院に行き始めて数ヶ月で彼女は通院を辞めてしまった。

理由は、担当医の急な異動と、体調の良さである。

数ヶ月薬を飲み続けた彼女は、あるタイミングで目標を見つけた。件の「躁状態」だったからかもしれない。それからというもの、生きていることへの罪悪感も薄れ、目標のために頭がいっぱいで落ち込む暇もなかった。暴れる回数も著しく減った。

書いたか書いてないかわからないが、普段遠距離のはずのわたしたちは、コロナ禍のオンライン授業から一緒に暮らしている。もう4年になる。

それでも、今後の遠距離に備えて、病院は彼女の家のそばを選んでおり、通うにはお金も体力も相当必要だった。

当然のように、病院へは行かなくなった。

通院をやめてもう3、4ヶ月が経つが、それはそれは安定していて、双極性障害と診断されたことを忘れるくらいの毎日だった。心の底から楽だった。


この書き方から察するだろうが、彼女は最近また暴れ始めた。

冷静に1、2年前の自分を心から尊敬している。
暴れる彼女をどうやって毎日宥めていたのだろうか。

またか

1度目よりも2度目が辛い。というよりは、1度目の辛さを忘れているのかもしれない。

当時は頭が麻痺していたが、今は冷静に物事を見て、その分状況を理解できない。

なぜこの人は今、壁を蹴っているのだろうか?
わたしは明日も早く起きて学校に行かなければならないのに。



話は変わるが、わたしは最近学校で悪意の標的にされている。典型的なルッキズムだ。

容姿に関して、話したこともない学生数名から、聞こえるほどの大声で意見を頂戴する。

この手の問題は、生まれてこの方一度もなく、正直戸惑っている。

その罵声の内容は、言ってしまえばどうでもいいことなのだが、全くの他人に悪意を向けられることがここまで恐ろしいとは到底思わず、学校に行けなくなった。スーパーにも行きたくなくなった。なんせ人の多い場所が怖くなった。

さすがにやばいから担当の教員に相談をしたら何やら大事になって呼び出され、教員2名と事務員1名、カウンセラーが1名来た。

先生方からは、わたしが別の班に移動して実習を受けるという選択肢があるということ、わたしの状況に対してカウンセリングを受けることが望ましいということ、出席しない限り単位は出せないということをダラダラ説明された。

ある程度は仕方のない事で、想定内だったから諦めもついたが、カウンセリングはどうも納得がいかない。

わたしが考え方を変えなくてはならないのか?
カウンセリングが必要なのは、彼らじゃないか?
学校が怖い理由も原因も全部知ってるよ。

そんなこんなで学校に行けない日が年末年始を挟んで1ヶ月ほど続き、そろそろ単位が危ういところまでいき、留年がちらついた頃、意を決して学校にいくと、動悸がして泣きそうになった。ググったらパニック障害と書いてあった。なんでも病気か。

病気なのは、他人の容姿に文句を言っている連中だろう。よっぽど病気だ。


そんなことがある中で、1番の理解者であってほしい恋人が、突然また敵になったここ最近。

正直、生きるのしんどいし、全部辞めて引きこもりたい。

愚痴みたいになってしまったが、近況報告として公開させていただきたい。

進捗あれば、また投稿します。




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