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「わたし」を生きるために性別を捨てた話 -自分の「X」という性について

はじめに、昔話

 幼い頃から「性」に関心の強い子どもだったと思う。4歳くらいのとき、いつも両親のどちらか(だいたい母親)とおふろに入っていた。そのたびに、母親と父親の身体の違いが不思議だった。
 どうしてママはおっぱいがふくらんでるの?(パパはそうじゃないのに)
 どうしてパパはわきの下に毛が生えてるの?(ママは生えてないのに)
 よくそういう疑問を口にして、そのたびに母親は子どもにもわかるようにかみ砕いて説明してくれた、気がする。
 初恋のようなものも早かった。幼稚園で同じクラスだったエマちゃん。ブロンドの天然パーマの髪がすごくきれいで、まつ毛もきれいな金色だったから驚いたのを覚えている。赤とか緑の、周りに砂糖が大量にまぶされたグミが大好物だった。
 今思えば、エマちゃんへの気持ちも恋だったのかはわからない。単純に、かわいいな、と思っていただけなのかもしれないし、好きなアイドルに憧れるような、いわゆる「推せる」という感情だったのかもしれない。わたしたちは友だちとしてまあまあ仲良しだったから、友だちとして大好きだったのかもしれない。
 それは置いておいて、とにかく幼いわたしにとってそれは忘れられない感情となり、また肉体的にも発育がかなり良かった。小学校4年の頃には生理が始まったし、同じ頃あまりに胸が張って痛いと騒ぐので心配した母が病院に連れて行った結果、シンプルに胸が成長し始めたことによる痛みだと発覚し、母に早いねと言われて恥ずかしかった。小学校4年の夏休み、初めてブラを買ってもらった。

どっちのトイレに入ればいいのかわからなかった

 どうしてわたしがここまで性的に「早熟」な子どもだったのか。おそらく体質とか遺伝とか(父方の祖母も発育が良かったらしい)科学的な理由はたくさんあるんだろうけど、わたしはあることをこれに結び付けて考えられずにはいられなかった。

 わたしは自分に「性別」があることを理解していなかった。
 幼稚園のお遊戯の時間で、先生が男子と女子でペアを組ませてダンスを踊らせるとき、わたしはどっちの列に並べばいいかわからなかった。
 トイレもどっちに入ればいいのかわからなかったし、当時わたしはブラジルに住んでいたんだけど、わたしの幼稚園では男の子はほぼ全員サッカークラブに入っていた(ブラジルがサッカー大国な理由の一つは、貧しい家庭の子でもボールさえあれば遊べるから、というものである)。そのかわりと言ってはなんだが、女の子はほぼ全員バレエ教室に通っていて、わたしもエマちゃんと一緒にバレエ教室に通いだしたけど、あ、わたしはサッカーじゃないんだな、と思ったのを覚えている。バレエの発表会でフリフリのドレスを着た自分が周りの子からひどく浮いているように感じた。

 自分の「性別」の存在がわからなかったし、そもそも「性別」の意味をわかっていなかったようなところもある。
 どっちのトイレに入ればいいかわからないというか、どうしてトイレが2つに分かれているのかがいまいちよくわからなかった。
 そして最初に書いたような身体に関する疑問についても同じだった。母のおっぱいがふくらんでいることと母が女性だということが結び付けられなかった(父はそうじゃない、ということが、イコール父は男性、ではなくうちのパパのおっぱいはふくらんでない、という理解だったのである)し、父にはおちんちんがあるのにどうして自分にはないのかが不思議だった。


 自分もブラをつけるようになり、生理が始まっても、それを女性としての成長と結びつけることはなかった気がする。ブラを買ってもらった時も嬉しいとか恥ずかしいとかの感情じゃなく、体育の授業のとき胸が擦れなくて痛くないのが快適だと驚いたのをしっかり覚えているし、生理のときもただそれが面倒くさいイベントだと思って過ごしていた(周りの子にも生理が来てるかとかはまったく興味がなく、ただプールに入れないのが悲しかった)。

「性別」というラベリングの欠如

 その性質は中学、高校と年齢を経ても変わらなかった。そこでわたしはこれのせいで迷惑をこうむることになる。

 確か中学生のとき、男好きだと陰口を叩かれた。
 実際、わたしは思い出してみると女の子の友だちは同じ部活に入っていた数人くらいのもので、休み時間や放課後は男の子(比較的おとなしい感じの、文化系の部活に入っているような男の子といるのが楽だった。彼らは教養深くて面白かったし本の趣味がわたしと合うことが多かった)とだらだらしゃべっていることが多かった。
 でもそれは、女の子と仲良くしたくないとか男の子と仲良くしたいとかいう気持ちによるものではなかった。単純に、付き合いやすい人たちと一緒にいただけで、たまたまその人たちが男の子であることが多かった、ということである。


 しかしわたし以外の人たちはそうは認識していなくて、わたしが男の子とばかり仲良くしているとか、男の子にちやほやされて喜んでいるとか思っているらしかった。
 これに関しては、言っていることは理解できるけど、いまだに共感はできない。わたしはいまだに、どうしてみんなが他者を「性別」「男女」で分類して考えるのかがぜんぜんわからないのだ。

 わたしは他者とか自分を「性別」で認識したことがなかったし、その発想自体を持ち合わせていなかったのだ。それと自分の成長との矛盾が、もしかしたら、わたしの「性的な成長」を余計早めたのかもしれない。知らんけど。

わたし「男女」どっちでもなくていいんだ

 大学受験、わたしは高校3年の6月に部活を引退してからそれはもうものすごい勢いで勉強をした。
 もともと好奇心が旺盛だから勉強がストレスじゃなかったのもあると思うけど、わたしはとにかく高校生活で無意識のうちに疲れきっていたのである。
 なぜかみんな「性別」で人を分類する。大学受験というフィールドにおいては「性別」とかは関係なく、平等に評価される(とこのときは信じていたし今はそうなることを心から願っている)。だからわたしだって頑張ればきっと評価してもらえるはずだ。
 その結果、わたしは夏休みで偏差値を50から75に上げて、どうにかこうにか早稲田大学に合格したのであった。

 早稲田大学の文化構想学部という胡散臭い名前の学部にはいろいろな講義があって、わたしは大親友(早稲田大学の文学部に進学するはずが入学金の振込先を間違えて文化構想学部に入学した)がハマっているジェンダー論というものがおもしろそうだ、と思い、大学3年生の春にM先生のクィア・スタディーズに関する講義を取り始めた。

 そこでわたしは衝撃的な事実を知る。

 わたしが知ったのは、性は「男性」「女性」だけではないということだった。そして「M(男性)」「F(女性)」以外に「X(性別を男女のどちらかに限定しない)」という性があるということも知った。

 なんだ、わたし病気じゃなかったんだ。
 それを知ったとき、わたしはひどく安心した。
 「X」に限らず、性自認や性的指向にある意味ラベルとしてつけられた名前(例えばゲイとかトランスとか)は人を安心させる意味合いもあると思う。そういうラベルがある、ということは、これは自分だけの問題ではなく、自分はおかしくなくて、同じような人も存在しているのだ、と安心できるのだ。
 わたしが自分を「性別」で考えたくないのも、「男女」どっちでもないように思うのも、変なことじゃなくてそういう人はたくさんいるんだ。
 このとき、わたしは初めて自分の性自認を「FtX」と言語化できるようになった。

 M先生は講義の中でこう仰っていた。今ある偏見とか差別をなくすのは愛とか思いやりじゃなく、正しい知識や理解だ。その言葉の意味が、なんかものすごくわかるように感じた。

女友だちがサラリーマンになった話

 大学4年の秋。大学2年の頃に知り合った親友の女の子が、富山のサラリーマンになった。
 親友はよくわたしの家に泊まりに来ていた。わたしの部屋着を少しきつそうに着て、わたしの母親が作る肉じゃがが大好きだった。母親も素直で飾らない親友のことをすごく気に入っていて、下の名前にちゃん付けて呼んでいた。
 男性ホルモンを注射するごとに、親友の身体は変わっていった。声が低くなって、もともとジムに通っていたこともあって体つきががっしりしてきて、なんとなく身長も伸びたような気がした。


 富山に会いに行った時、親友は健康そうだった。親友はディカプリオに憧れて髭を生やそうとしていた。もともと体毛が薄いからなかなか伸びないと悩んでいた。
 富山でわたしたちは一緒におふろに入った。男と女としてではなく、人間同士として。わたしは少しおふろが苦手なんだけど、親友に付き合って長風呂をしたらすこしのぼせた。
 親友は改名して、職場では名字にくん付けで呼ばれているらしい。
 あの子にとって、男性の身体は憧れであり、目標であったのだ。

自分らしいのに生きづらい

 じゃあ、わたしは?
 男女どちらでもないわたしは、なにを目標にしたらいいの?

 女として生まれたことを憎んだのは、いわゆる性差別とかセクハラとか、そういう被害に遭ったときだった。そのたびにわたしはこの国で女として生まれたことを後悔した。
 でも男になりたいわけでもなかった。男には男の地獄があるだろうし、わたしは女でいたくないわけではないのだ。

 親友が富山に行ったのと同じくらいの時期、友だちだと思っていた男の人に告白され、付き合ってほしいと言われた。
 わたしはそれでひどく傷ついた。それはわたしが性的に消費されたからじゃなかった。
 ひとつめの理由は、彼が「魅力的な男性」だったから。顔立ちが整っていて、背が高くて、優秀で、筋肉もついていて、とても優しい人だったから。
 そして、そんな彼にとって、わたしが「魅力的な女性」だったと気付いたから(彼は異性愛者なので)。
 22年の人生、それなりにモテてきた。彼だけじゃなく、わたしはつまり、今まで好きだと言ってくれた人(あるいは肉体関係を求めてきた人)たちにとって「魅力的な女性」だったのだ。胸が大きくて、顔が可愛くて、それなりにコミュニケーションが取れて。


 その事実がひたすらにキツかった。
 自分が「男性たちにとって魅力的な女性」である事実がしんどかったし、生まれて初めて、女として生まれたことではなく、自分の身体を憎んだ。

ジムにいるムキムキのおじさん

 結局わたしは、自分の身体を憎んだって、自分と自分の身体(自分の身体的な性別ともいえる)をつねに切り離して考えることしかできなかった。さっき書いた傷ついた一件だって、その乖離があったから起きた出来事、ともいえるかもしれない。


 しかし、近年の「#Metoo」とかフェミニズムの流れにもつながるけど、幸か不幸かわたしの身体はわたしのものなのである。
 そしてさらに「正しい知識と理解」を深めたわたしは、今は自分の性を「男でも女でもないし、男でも女でもある」と言語化できる。
 だったら、どんな体を目指すとかじゃなく、自分の身体を愛せるようになればいい。今はこういう世の中だから厳しいけど、落ち着いたらピアスを増やして、タトゥーを入れて、自分がイケてると思う身体に変えていく。
 わたしの髪は今白っぽい金髪で、ボブくらいの長さだけど、夏になったら真っ青に染めてショートにすると決めている。春は髪を巻いて、古着系のワンピースやレトロなセットアップを着ることが多かったけど、夏に向けて派手な柄のシャツとほどよくフィットするスキニーを探している。わたしは毎日、女装をしたり男装をしたりできるのだ。

 最近わたしは筋トレにはまっている。ムキムキになりたいとかじゃなく、鍛えたい部分だけ鍛えて自分の身体を「デザイン」している。コロナが流行りだす前、地元のジムでボディビルダーばりにムキムキのおじさんたちを見て筋トレのモチベーションを高めていた。彼らが笑顔で自分の筋肉を愛でているのを見て、わたしもあれくらい自分の身体を愛したい、と思うのだった。
 今はジムに行けないけど、毎日家で筋トレをして、おふろ上がりに自分の身体を鏡で見る。

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