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Gカップのわたしがボディポジティブについて考えた

 わたしは胸がGカップある。

 これは自慢でも自虐でもなく、なんの意図も持たない事実だ。わたしは自分の胸を好きだとも嫌いだとも思っていないし、自分の身体に付随するものとして自然に受け入れている。

 しかし最近、この世の中の「標準」よりは大きな胸が邪魔になることが増えてきた。

 その理由を語るうえで、まずわたしの性自認について書こうと思う。わたしは自分自身を男性とも女性とも認識していない(いわゆるXジェンダーと呼ばれる性である)。どちらでもないし、どちらでもある。そんなニュートラルなものとして認識している。

 自分の性自認をこのようにはっきり言語化できるようになったのは大学3年のとき、ジェンダー論を初めて専門的に、きちんと学んだときである。性別は男/女の2つではない。性のあり方は人の数だけ、無限大に存在する。そのことを改めて知ったとき、わたしは今まで自分の身体に感じていたものがすとんと落ちたように感じた。

 そういうふうに自分の性を「理解」してからは生活が少し楽になった。自分の選択、行動がときに自分の性と結びついていることがわかったから、自分の行動を理由付けすることが可能になったのである(小さい時から理由のない、ロジカルでないものが嫌いだった)。
 アンケートとかによくある「男・女」に〇をつけるとき少し惨めになるのは自分がどちらにも属せないという劣等感が今まであったから。そもそも自分や他者を性別で分けて考えたことがないから、人と仲良くなったり一緒に出かけたり、好きになったりするときに性別は全く関係のないものだった。

 わたしは自分の性を肯定的に思うこともあれば否定的に思うこともある。だって、男でも女でもないって男にも女にもなれるってことだし。わたしは時によって「男」の自分と「女」の自分を使い分けたりもする。「女」の服を着ている自分が好きだし、それがよく似合うから普段は「女装」している。

 だけど「女装」しているからといってわたしは「女」ではない。しかしそれは外から見たら全くわからないことだし、初対面の人はほとんどがわたしが「女」である、という前提で接してくるのが当然なのだ。

 そして大きな胸のせいでときに性的に消費されたり搾取されたり失礼なことをされることは、わたしにとってはそれだけじゃなく(それだけでも立派な暴力なんだけど)性自認の否定、という意味を持つ。「女」ではないのに「女」と決めつけられるところまではいいとしても「女」として消費されることが自分自身を否定されているように感じてならなかった。

 そしてこれはわたしが自分の身体を愛せない、「ボディポジティブ」になりきれないということにも関わる。

 まず胸の大きさによって「魅力」が決まるとは全く思っていない。持って生まれた身体に口を出される理由なんてないし、この「魅力」だってその中には「女らしさ」「客体としての女性」というニュアンスを孕んでいるわけだから失礼極まりない話である。

 だけどやっぱり胸のサイズにも「標準」が決められていて、そこからはみ出しているわたしは、服が大好きなのに一気に選択肢が狭まってくるのである(性自認とか抜きにして、ただ好きな服が着れないという意味で)。
 胸のサイズに合わせて服を着るとおなかの部分に謎の空間ができて、全体的にバランスが悪く見える。かといって他の部分に合わせて服を選ぶと胸の部分が窮屈だし、外から見てもそこだけパツパツになったりして明らかにきつそうになるのである。こういう不便さにぶつかるたびに別に惨めな気持ちにはならないけど、アパレルブランドもう少しなんとかならんか、とは思う。

 そして、最も気に食わないもの、それは「巨乳」という言葉である。この言葉がわたしのボディポジティブを妨げていると言っても過言ではない。
 まず「巨」とはなんだ。「標準」があっての「巨」なのであれば、まず勝手に「標準」を決めるのがおかしいし、他人の身体に「巨」とか「大」「小」とか口を出す権利は誰も持っていないはずである。
 そしてこの言葉にはなんとなく性的なニュアンスが含まれているように感じてならない。男性から「見られる」対象である女性、女性の「男性から見た魅力」をはかるパーツである胸、という。わたしのおっぱいはわたしのものだ。見られるためでも評価されるためのものでもない。

 最近「シンデレラバスト」というとっても可愛い言葉が一般的になりつつあるが、「巨乳」に代わる可愛い言葉もできてほしい。センスのある方、下着メーカーの皆様、作ってください。何卒。

 ボディポジティブという考え方が最近広まってきていて、それはとてもいいことだと思うしわたし自身そういう考え方を押し出す会社で仕事をしている。
 わたしごときのサイズを準備できない日本のアパレルがおかしい、大きな胸の女性がなんとなくいづらさを感じる世の中であってはならない。これらは本当にその通りだと思う。

 でもボディポジティブってそれだけじゃないんじゃないか、と思うのもまた事実で「ありのまま」や多様性を尊重するだけの簡単なことじゃないんだよな、と毎回下着屋さんの試着室で鏡を見ながら思うのだった。

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