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余白

最近の私は、余白について考えている。それはなぜかと言うと、自分の余白がなくなっているような気がしていたから、である。随分とコンパクトにまとめてしまったが、情報過多な現代を生きている私たちにとっては、しっくりとくる言い回しなのではないだろうか。
ちなみに、この問いに対する明確な答えは見つかっておらず、低解像度のぼんやりとした写真のようなものしか浮かび上がってきていない。
大体、思考遊びするときってGoogle先生のお力を借りて、対象を定義することから始めるんだけど、今回まったくGoogle先生が頼りにならなかった。だから、あえて余白とはなんぞや、という定説は置かず、自分なりの言葉で紡いでみようと思う。
余白を考える上で、まず浮かんだ疑問が「空白との違いとは?」だった。「空白」「余白」それぞれが示すシニフィエは、なんとなく理解できるものの、はっきりと区別できるようなコントラストの強い違いを見つけ出すことはできないだろうか。と、「空白」と「余白」を行き来し、捻り出したアウトプットが、
・「空白(blank)」とはないものから生まれる概念
空っぽ・空いている・なにもない
・「余白(margin)」とはあるものから生まれる概念
余り、剰余、余分、差分
さらに付け加えると「空白」は絶対的だが、「余白」は相対的に生み出されるような気がしている。余白は、何かの余りで生み出された領域なわけだから、ごもっともな気がするが。

いや、待てよ。

そういえば、「余白作ってね」と指摘されるシーンて割と頻出ではないか?と自問自答を始めてしまった。冒頭で「余白について考えるきっかけ」について触れているものの、本当のきっかけを発露すると、「なんだか物足りない」という「空白」に不安を持っていて、でもその空白に意味付けをしたら適切な「余白」になるのかも?という思考が巡り巡って「余白とはなんぞや」と対峙するきっかけに至ったような気がしている。この文脈に沿って考えると、余白というものは意味のある空白、意図して創り出した空白と考えても間違いではないのだろうか。ということは、余白って、読んで字の如く、シンプルに、単純に、余った空白ってことか。…無事帰結。勝手にブレイクスルーしてしまったが、今日から余白について懊悩することなく快眠できそう。
しかし、やはり日常に司る本質的な「余白」については何かの折で熟考し、明文化してみたい。し、多分そちらの問いの方が楽しめるような気がする。
終わり

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