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桜井和寿という哲学者について


「総ては そう 僕の捉え方次第だ」

https://www.oricon.co.jp/prof/17382/lyrics/I025500/

哲学というものは、生活が忙しくなると、その重要性を増す。
忙しなさと閑かさ、理性と本能の間、両方でもないどちらかを行き来しているとき、私は哲学をしている。
たとえば、「今日の夜ご飯何食べよう」から「どの順番でタスクを片付けよう」など、生活に根ざしたものから、仕事に関するものまで、絶えず考えが働くと思うんだけど、そのどちらにも属さない「なぜ生きているんだろう」という、即効性と答えのない問いかけの思考が哲学だと考える。
哲学というと、急に重みが増して、取っ付き難く感じてしまうのだが、平たく言うと「思考遊び」に近い。
思考遊びには、即効性はないものの、先に記した通り、大変に重要度が高いものである。何故かと言うと、即効性のある思考というのは、ある問いに向けて「解決策」を導き出そうとしている行為であり、解決した先には、何も残らない。(だから解決といえる)
これはこれでとても重要なことと百も承知で、特に仕事をしている私たちは常に何かの問いや課題に対して、解決策を求められているのであり、そのような方向性で思考を巡らせ解決を図ることは、ビジネスマンとして然るべき行為なのである。(それでお給料もらっているから)
またビジネスマンじゃなくとも、人間というのは何もしていなくてもお腹が減るものだから、「今日は何を食べよう」と考えるし、疲れていると「サウナに行こうか、カラオケに行こうか」とストレス発散方法を考えたりもする。これもこれで、即効性のある思考であって、私が考える「思考遊び」とは、ほんの少し相違が生じる。

「思考遊び」の言及はこれまでにして、自分が「生きるってこういうことかもな」という漠然とした思考遊びの産物を、Mr.Childrenの桜井氏が、たったワンフレーズで表現していたことの驚きと喜びをシェアしたくって、この筆を走らせている。(正確にはキーボードを叩いている)

2000年に発売されたアルバム「Q」。
「人が生きる意味」「愛」「人間の生々しい弱さ」「身近な幸せ」「実生活」など、人生のあらゆるテーマをすべて網羅した哲学書と捉えていいかもしれない。
収録曲の一つである「CENTER OF UNIVERCE」は、まさに「人が生きる意味」という壮大なテーマを「身近な幸せ」や「実生活」に肉薄する歌詞と、激流に揉まれるような疾走感のあるメロディラインで美しく表現しているように思う。
私が思考遊びをしている過程で思わず膝を打ったのが、冒頭に記した「総ては そう 僕の捉え方次第だ」というワンフレーズである。
シンプルで飾りっ気のないフレーズだけれど、「生きるとはなんたるか」が詰まっているような気がしてならない、この一曲の真髄とも言えるワンフレーズだ。ある人は、耳障りがよいと感じるかもしれない、ある人は、今まで見ていた景色が一変するような感動を覚えるかもしれない。二者択一ではないが、私は後者であり、この思いを誰かに共有したくて堪らないのである。

なんとなく浜辺を歩いていたら、きらきらと光る名のない石に出会ったように、なんとなく古本屋に足を踏み入れたときに手にした一冊が、まるで自分のために書かれているかのように。目的もなく、偶然の感動に出会えることが嬉しくて、私は思考遊びをするのかもしれない。

ちなみに、こういったいい感じのまとまりにしたかったわけではなく「CENTER OF UNIVERCE」から得られる哲学的な示唆を、自身の生活に準えて考察してみようかしら、と思ったんだけど、「コメダ珈琲で何を食べよう」という即効性の思考が働き始めてしまったため、以上とする。

終わり

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