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焚き火

孤独を楽しむ、そう言う遊びがあります。ソロキャンだの焚き火だのはBBQみたいなパリピ(あるいは孤立していない個性の集団)の中からも生まれています。娯楽としての焚き火やキャンプは孤独を楽しむ所にフィーチャーしてると言う意味で、ディズニーランドに一人で行く行為とは世間の評価が逆なのは注目すべき部分だと思います。

エッセイストで小説(アドバード大好き)も書く椎名誠さんが著作(確かわしらは怪しい探検隊かその二作目か)の中で「焚き火は生き物だ。人間が手をかければ消えるが、やりすぎればコントロール出来ないくらい大きくなる」みたいな事を言ってました。
暗闇の中で揺れる炎に集中し、コントロールし、自然の中で自分が孤独である事を感じる。そう言う自然の象徴として炎と向き合いながら、次の日には社会と言う集団に戻る事を確約された状況だとも言えます。言わば安全を担保されたサバイバルごっこですね。

いや、決して悪口ではありません。ホモサピの心はそう言った娯楽により生きている自分を感じてから、社会の構成員としての役割を担うものです。
モータースポーツや絶叫系アトラクションも、性的変態行為に耽る趣味も、BL漫画を読んでゴリラになる腐女子も、社会に戻るプロセスを踏むじゃないですか。ソレらは全てホモサピが擬似的な孤独を楽しんでいると考えられると思いません?

焚き火に見え隠れする意味って、儀式を通して孤独を感じる事で限りなく安全に死を思い、儀式を通して復活を遂げ生を謳歌する行為なんじゃないかと思います。或いは生きている事を確認する行為とか。
それだけ社会と個人の関係性が曖昧である事の裏返しなのかもしれません。
自分で自分の社会性を見つける行為というか。むむ、難しいな。

しかしまぁ、後始末だけはしっかり行ってください。
🎵燃〜えろよ燃えろ〜よ〜、民家よも〜え〜ろ〜🎵とならないようにお気をつけて。

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