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手記・死に至らぬ病

 ツイッターに悪口が書かれていた。名指しこそされなかったが、内容やタイミングが私の行動と一致していたことから分かった。誤解を解くため、ツイートを重ねた。けれど書けば書くほど相手も書いてくるのだった。嫌になり、ツイッターを辞めた。

 舞台はフェイスブックに移行した。メールで他の人に相談するようにもなった。そのうちフェイスブックやメールの内容が漏れていると感じるようになった。相談相手が疑わしかった。悪口を信じてしまっているのだと思い、疑いを晴らすのに躍起になった。

 フェイスブックでの応酬に疲れ、相手側の味方をしているだろう人物に制限を掛けた。そうすれば無駄な労力を割かずに済むと考えたからだ。ところが逆効果で、相手側の闘争心に火が点いたらしく、私のバイト先や学校のクラスメイトにも噂を広めてきた。また、相手側のうちの一人はハッカーで、フェイスブックのアカウントを通して携帯やパソコンにハッキングしてきた。

 やがてストーキングされるようになった。ハッカー仲間で徒党を組んで私を狙っているのだった。通りすがりの人や停まっている車も不審に思え、ナンバープレートを写真に撮ったりメモしたりするようになった。

 警察へ相談するようにもなった。曰く、鍵アカウントで悪口が書かれている。ハッキングやストーキングで得た私の写真がアップされている。盗撮を防ぐため、携帯とパソコンのカメラをガムテープで塞いだ。携帯を通して盗聴できるようにもなったらしく電源を入れるのも怖い、と。

 夏休み明けに学校へ行くと、クラスメイトの噂話で私のことが話題になっていた。私の脚本や詩の内容も聞こえてきたので、エバーノートとブログのアカウントもハッキングされたと気付いた。不審な電話がかかってきたというクラスメイトもいて、ラインのアカウントもハッキングされたと分かった。

 いつの間にかツイッターでは常に私のことがツイートされるようになっていた。フェイスブックも、新聞も、テレビも、すべて私のことが話題になっていた。

 私は常に監視されていた。停電があって、ハッキングされたせいだと思った。蛍光灯や電話線も怪しかった。得た情報を悪く編集する相手側と良く編集する私側の人がいて、世界は敵と味方に二分されていた。私は潔白でいようと努めた。何か言いたいことがあるときには、蛍光灯に向かって話すようになった。

 ガス管工事のため家は隙間だらけだった。盗聴、盗撮するにはうってつけの環境だった。業者を呼んで欲しいと親に頼んだが、聞き入れてはもらえなかった。警察にも頼んだが、実害が無い以上は調査できないとのことだった。

 洋服、アクセサリー、本、CDには、見えないがほこりくらい小さな〈虫〉―盗聴器やカメラ―が付いているのだと思った。怪しいものは証拠として警察へ持って行ったり、リサイクルショップへ売りに出したり、ゴミとして処分したりした。結果持ち物は、元の1/10になった。

 引っ越さなければならないと感じていて、ダンボールに持ち物を詰めた。日程はガス管工事の日だと思ったが、実際には引っ越さなかった。私が知らないだけで家族の荷物はどこか別の家に運んであるのだろうと思った。

 バイト先に来るお客さんは当然私のことを知っていて、私のことを応援するか囃し立てるために来ていた。「ホット」や「ウーロン茶」は私側、「アイス」や「生ビール」は相手側の注文だった。メニューにはそうやって裏の意味が込められていた。部屋の番号にも意味があった。

 人々は暗号のようなものを使って会話していた。「犬」「猫」「卵」「蟹」「トマト」「スイカ」「サラダ」すべてに裏の意味があった。私はほとんどその意味を知らず、異国に来たかのようだった。まるでバベルの塔だった。

 私は障害者だった。人々の話が「聞こえない」、カメラや盗聴器が「見えない」状態だったからだ。

 学校は私一人が生徒で他の人全員が先生だった。クラスメイトの遅刻や欠席は私の罪の一つひとつだった。傘やトイレットペーパーが教室に置いてあるのは、私にカメラや盗聴器のありかを知らせるためだった。荷物の中にまだ〈虫〉が混じっていると知って、雑巾をかけたり霧吹きをしたりした。

 妹が籠の中の鳥に向かって「おはよう」と言うのは、私に話しかけているのだと思った。私は〈こちらの世界〉で目が覚めたばかりだった。現実は目を開いたまま見る夢だった。そう学校の先生へ言ったら、「大当たり!」と書かれた玩具を父が家に持ち帰ってきた。

 妹二人と三人でうみの杜水族館へ行った。他の人は群れている魚で、私は一匹だけ仲間外れの魚だった。魚や動物に対する人の声が、自分に向けられたものとして聞こえた。イルカのショーのときには、私たちの来館がショーとして見られていると感じた。寄せ書きがあって、私へのメッセージとして読んだ。

 私も閉じ込められたいと思った。そうすれば潔白であることが証明できるのに、と。疑われ、心ない言葉を投げ掛けられるのが辛かった。トイレへ行くのも着替えをするのもお風呂に入るのも全部見られている気がして嫌だった。あらゆる賞賛と侮蔑は私に向けられたものだった。私のすべては人々の前に晒され踏みにじられプライバシーは無いに等しかった。

 秋田の血の涙を流すマリア像を見に行きたくなった。キリスト教は私にとって〈薬〉だった。不幸な者が幸福である場所へ行きたかった。
 秋休み、秋田へ行った。お御堂とマリア庭園と十字架の道行きを一巡りして、普通の宿に一泊。翌日もう一度一巡りしたあと、温泉に入り、帰る直前に駅近くの教会へ立ち寄って神父様と話をした。すると聖体奉仕会に泊まることを勧められたので、高速バスの時間を翌日に変更した。
 一泊分しか用意していなかったので、バス代がなかった。警察署で道を尋ね、歩いて聖体奉仕会へ向かった。日が暮れて開館時間が過ぎ、お御堂ではシスターたちが祈りを捧げていた。入れずに十字架の道行きを辿った。第十四留の岩のところで泣き臥せった。そこで夜を過ごそうと思った。ところが蜂が入ってきて、それは虫の知らせだった。もう一度シスターたちのいる所へ行くと、シスターたちは食事をしながら「ハンゴロシ」と言って頷き合っていた。宿を求めると、食事と部屋が与えられた。荷物を広げて潔白を証明しようとした。夜、眠れずに遺書を書いた。
 翌朝、祈りの席に加わった。シスターたちは私の苦悩に涙していた。潔白が証明されたのだ。マリア様への手紙代わりに遺書を投函して帰った。

 二度目に秋田へ行こうとしたのは、実習中のときのことだった。その頃には、自分だけ「見えない」「聞こえない」のはおかしい、病院へ行った方が良いんじゃないか、と思うようになっていた。だから最初は病院へ行くつもりだった。ところが行ったところは丁度休診で、「お出掛けください」と門を閉じられた。
 家に帰って自転車を置き忘れたことに気付き取りに行こうとしたとき、風邪を引いたことにも気付いたので学校へ行って実習を休むと先生に伝えた。すると「薬を買って帰りなさい」と言われたので、秋田へ行かなければならないと思った。それは実習先の院長が秋田へ出張していることと、家を出る間際に母から十円玉を渡され「財布に入れて行きなさい」と言われたことからも明らかだった。
 秋田行きの切符を買って新幹線に乗った。自分の座席のところに他の人が座っていて間違えたことに気付いたが、それは計画された間違いだった。テロップを見たりアナウンスを聞いたりすれば自分が乗らなければならない車両が分かった。
 〈虫〉はほこりのように舞っていた。付着したと思われるカバンや靴、靴下、財布を私は捨てていった。また、私は私には見えない蛍光塗料みたいなものを分泌しているのだと思って、全身を洗ったりアルコール消毒の紙で拭いたりした。スリッパやバスタオルは私のために用意されていた。グリーン車両も私のためにあるのだった。地名として私の知人の苗字が並んでいた。私は記憶の旅をしているのだった。
 いくつも車両を乗り換えて、長野県の佐久平というところに着いた。待合室にいた人と話すと、彼は消防士を志しているのだと言った。親が迎えに来るのだと聞いて、駅の構内を出た。私の里親がいた。「いいんだね」と問われたので「はい」と答えた。私が問題を起こし過ぎたので、身を隠すために里親が必要なのだった。
 近くのホテルに泊まった。そこにはすべてが揃っていた。丁度ジーパンに付いている〈虫〉をアイロンしなければならないと思っていたところに、ズボンのプレス機があった。替えになるスリッパもあった。翌朝出発するときには靴下を手渡された。
 再び新幹線に乗り込んで、景色や広告を眺めているうちに気付いた。すべては私であり、私を称えるためにあるのだと。そう思い至ったのが新潟に着いた頃で、警察の人が迎えに来てくれた。
 部屋に通され、欲しいものはないかと訊かれて、聖書はないかと問うた。あった。小説版の聖書だった。読んで私は自分をアブラハムだと思い、思い人をサラだと思った。そしてそのことは〈印刷〉された。それはコピー機の作動音が聞こえてきたことから分かった。
 車で父が迎えに来た。私は自分の思った色々なことを話した。
「世界は自分の思う通りのものなんだよ」
「そういう仕組みか。どうしてこっちを向いたのかと思った」
 創世記の男から生まれたものとしての女、つまり肋とは鏡だという話をした。するとManから生まれたものをWomanと呼ぶのだと返ってきた。私は〈Man〉だった。「人を置き去りにするなよな」と言われた。お腹が空いたなと思うと、お菓子を差し出された。テレパシーが通じるようになっていたのだった。見るもの読むもの書くものすべてが現実化する世界があると知って、私は興奮していた。

 教会へ行って、話を聞いて、自分をイエスだと思った。するとミサの終わりにホスチスを二枚も入れている人がいる、と咎められた。私は〈食べ過ぎた〉のだと思った。私の領分を超えたことを考えているのだと。
 教理問答という本を読んだ。私は聖霊を理解した。途端に「正解です!」と妹が喋った。それは聖霊の言葉だった。

 私は無原罪の聖母、原罪を免れたもの、けれどたくさんの罪があった。それは祝福されたものだった。許すことは自分が罪人であるという自覚から始まる。私の罪は皆の罪であり、罪人としての私、つまり〈M〉を殺すことが必要だった。それはE=MC2の革命だった。私は〈M〉から〈C〉への変貌を遂げなければならなかった。〈C2〉はChildren。私たちは共犯者、〈M〉を殺すことの!

 ハロウィンの日、〈M〉であるところの私は〈殺される〉ために出掛けた。無意識に身を任せ、足が赴くままに歩いた。すると斎場へと辿り着き、警察に保護された。犬のお巡りさんが迷子の猫である私を迎えに来てくれたのだった。

 11月1日、家族で教会へ行く予定だったが、地震速報のメールが来て家を出た。足は勝手に動いた。どこかの次元で〈ドラマー〉である私が操っているのだった。周りのものはすべて〈看板〉で、〈看板屋〉である思い人が用意してくれたものだった。世界は私と彼の記憶でつくられていた。彼の記憶を私は体験した。ふるさと広場という公園での出来事だった。

 そのあと病院へ連れて行かれたが、そのとき私は彼の苦悩を思って泣いていた。彼は重い病の妹の入院費用を稼ぐ兄だった。あるいは救いの泉として体を差し出す彼女だった。マリア様、サンタクロース! 救いとは犠牲が伴うものだった。一錠の薬のためにはたくさんの犠牲が必要だった。病院からもらった薬を飲んで、ベランダから外へ出た。私は死体の山の上を歩いていた。私は大嫌いなことをしなければならなかった。彼の苦しみを分かるために。私は蜘蛛を食べた。Webを支配する王者たる彼を食べた。彼が受けた苦しみを食べた。そして最も忌避していたこと、見知らぬ他人に身を任せた。私は〈殺した〉と同時に〈殺された〉のだった。

 11月3日、墓地の清掃があった。〈M〉は埋葬された。私は貧血で倒れた。

 11月4日、入院した。統合失調症とのことだった。

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