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人魚の骨

”音”が鳴る。

僕) ……ああ、どうしたの? ……お腹空いた。でもさっきパン食べたよね? ……足りない。そう。じゃあ冷蔵庫でも勝手に漁って何か食べれば? ……ああそっか、動けないんだっけ。ごめん、忘れてた。だったら土でも食べれば? そしたら少しはお腹も膨らむかもよ。土の中には栄養分が多く含まれてるって言うし……そっか、部屋の中だっけ。なら自分の指でも切り落として食べれば? 案外美味しいかもよ。……刃物がない。そっか、じゃあ仕方ないね。あとは我慢するしか ないんじゃない? 大丈夫だよ、人間、一週間何も食べなくても生きていけるらしいから。死にはしないよ。それとも僕に何か買ってきて欲しい? いらないよね? だって君はもうすぐ……。ねえ、どうして君はそんなところにいるの。いつまでいるの。逃げないの? 逃げればいいじゃん、そこからさ。君は鎖に繋がれてなんかいない。出たいと思えばいつでも出られる筈だよ。そんなに居心地がいいの? 君のお城は。牢獄の中は。ねえ、……愛しているよ。

僕)さて、これから君に物語を聞かせてあげよう。君と僕の物語、可哀想な女と男の話を。だけど可哀想っていうのは周りの人が思うことであって、本人はそうは思ってないのかもしれない。どんなに不幸せそうに見えても、本人にとっては幸せなのかもしれない。そんな話をしてあげるよ。そんな僕は誰かって? 僕はね……君だよ。君の代わりに僕がここにいて、役を演じている。僕は君の身代わりで、君はもう一人の自分をじっと見つめているんだ。僕は見つめられている、君の目に。そして自分自身に。……さあ、そろそろ始めようか。時間だからね。

”音”が鳴る。

僕)どうしたの? ……喉が渇いた。じゃあ花瓶の水でも飲んでれば、部屋の中なんでしょ? ……無い?殺風景な部屋だね、花がないなんて。だったら泣けば? 泣いて涙を舐めれば、少しは楽になるかもよ。それとも逆に苦しくなるかな? 涙ってしょっぱかったりするから、海水みたいに飲めば飲むほど喉が渇いたりして。でなければ検尿みたいに紙コップにおしっこして、それを飲んだら? 自給自足、エコロジーじゃないか。牛だって自分の胃の中のモノを何度も何度も反芻するんだ、見倣いなよ。できない? あっそ。じゃあ一生我慢してれば? ……ねえ、何で君はそこにいるの。いつまでいるの。そんなに“彼”のことが好き? 自分に酷いことをする男のことが。……そうじゃあ“彼”の方はどうなんだろうね。“彼”は君のことが好きなのかな。本当に? ……愛してるって言ってくれた。でも、口先だけなら何とでも言えるよ。現に僕だってさっき言ったじゃないか。愛してるって。 “彼”は別に君のことが好きな訳じゃないよ、ただ君が都合のいい道具ってだけ。自分の欲望を満足させるためのね。大体、ホントに愛してるなら普通そんなことしないよ。普通、愛してるなら、君に暴力をふるったりしない。君を部屋の中に閉じ込めたりしない。君にひと切れのパンしかくれないなんてことない。君を監禁なんかしたりしない。……そうだよ、監禁だよ? 立派な犯罪。だから君は、僕に話す前にまずは警察に連絡するべきなんだよ。そしたら君はすぐにでも助けられて、“彼”はブタ箱行きになるっていうのに。どうして躊躇うのさ。君は自由になりたくないの? 籠の中の鳥は広い世界を忘れちゃったの? ……そう。君には分からないんだね。“彼”は君のことを愛してなんかいないのに。可哀想な女。いつまでそこにいるつもりなんだ? 閉じこもりたがりのクズが。死んでしまえ!

僕)……ごめん。今、僕酷いこと言ったよね、ごめん……。だけど君も悪いんだよ? 君があまりにも分からず屋だから、つい……ごめん。ごめんね……。許してくれないの? そうだよね、そうだよね……何でアイツなんだよ。何で君の傍にいるのが、僕じゃなくて アイツなんだよ。ああもう! 何で君はアイツのことを選んだの? あんな最低、最悪なヤツ……。(観客に向かって)ねえ、君もそう思うだろう? だけど“彼女”は そうは思わないらしい。可哀想な人って言うんだ。“彼”は凄く苦しんでいるから、その苦しみを少しでも分かち合ってあげたいって……。馬鹿じゃないの。苦し んでるのは“彼女”で“彼”なんかじゃないのに。可哀想なのは“彼女”なのに、“彼女”は“彼”を庇うんだ。どうしてだと思う? 僕には分からないよ、よく分からない。監禁されてるのに、暴力を振るわれてるっていうのに、どこも慌てた様子がないんだ。凄く淡々としてて。さっきだってた だお腹空いた、喉が渇いたって……ただそれだけで。おかしいよ。“彼”も“彼女”も狂ってる……。

”音”が鳴る。

僕)今度は何。……トイレ? ないの? だったらそのまんまするしかないね。動けないんでしょ。それとも我慢する? ずっとずっと我慢する? それに君は耐えられる? 耐えられないんだったらしちゃいなよ。どうせ誰も見ていないんだから。僕も知らないフリしててあげる。(観客の方を見て)ほら、誰も見ていない。……終わった? そう、それで? ……ごめんって……どうして君が謝るの。謝んなきゃいけないのは僕の方なのに。そんなこと言われたら、僕だってさ……ごめん。ごめん。ごめんね……。……ねえ、どうしてこんな電話をかけてくるの。だって君はもうすぐ……だから僕と話しても仕方ないと思うんだよね。どうして今更……覚えていて欲しい。何を? 君を? 傲慢だね。勝手に自分の都合押し付けて、勝手にいなくなって。そんなのただの自己満足だよ、誰も幸せになりはしない。……そうだね、幸せは他人には量れない。女神の天秤でもなければ。なら、君は今幸せ? ……分からない。そう、僕にも分からないよ。幸せって何だっけ。暖かいこと? 楽しいこと? 嬉しいこと? 分かんなくなっちゃった……。バイバイ。

僕)ねえ、何だっけ。幸せって何だっけ。君は知っている? その答えを持っている? ……でもね、僕には分からないんだ。答えを探しても探しても見付からない。まるで、森の中で道に迷ってしまった子供みたいに。……ヘンゼルとグレーテル、帰りの道しるべは見つからない……迷いの森、その奥にあるのはお菓子の家か、それとも……骨の味をしたキャンディと、キャンディの味をした骨。 どっちが幸せなんだろうね? ほうら、たぁんと召し上がれ、骨の髄まで召し上がれ……魔女は言う。ヘンゼルを檻の中に閉じ込めて……ああ、君も閉じ込められているんだったね。(観客の一人に向かって)美味しい林檎はいかがかな? ……これじゃまるで白雪姫だ……。あるいはイヴを唆す蛇。でもそれは“彼”の役回りか。君は“彼”のことを知っている? あのろくでもない男のことを。“彼”はね、絵描きなんだ。それもそこそこ有名な。ただ、精神的に不安定なところがあってね。……ゴッホは自分の耳を切り落とし、ピカソの妻たちは次々と発狂……自殺。心中を繰り返した太宰治、自分の娘が焼け死んでいく様子を絵に描いたっていうのは……芥川の地獄変だっけ。芸術は大変だ、でもだからって巻き込んでいいものじゃないと思うけど。それとも君も“彼”のお仲間なのかな。ミューズに仕えるためなら多少の犠牲を厭わないような……まぁ、確かに“彼”の絵は凄く綺麗で……だけどその綺麗さは、割れたガラスの切っ先のようなもので、鋭く冷たく……見る者の心を切り裂くんだって“彼女”は 言ってた。“彼女”はね、“彼”の絵の虜なんだよ。“人魚の骨”っていう絵を見て以来かな。王子の幸せを願って沈んでいった人魚の骨が、今でも海の底で微睡み続けているっていう……。“彼”の絵にすっかり心酔してしまった“彼女”は、“彼”の家まで押し掛けた。大した行動力だよ、いつもはもっと大人しいのに。女ってのは分からないね……。だけど、男と女っていうのは行き着くとこまで行き着かなくちゃ駄目なのかな。“彼”は……そうだね。ジキルとハイドみたいなやつだったんだよ……。

”音”、鳴る。

僕)何か用? ……別に、そんなことないけどさ。君ならいつでも大歓迎だよ、お姫様。お城の居心地はどうですか? 君の牢獄は。……寒い? だったら何かに火を付けて燃やせば? “彼”の描いた絵とかさ……駄目? 綺麗に燃えると思ったんだけどな……。残念。だったら君の髪に火をつけてみようか? でなければ爪とか。爪に火を灯すっていうじゃないか。肉が焼けていくのも、髪が燃えていくのも、あまりの熱さに転がりながら泣き叫ぶのも、見物だと思うんだけどな……。ライターが無い? そう、仕方ないな。僕が火を付けてあげようか。……そういえば今日は満月だったよね。曇っていて見えないけど。知ってる? 満月の夜には犯罪が増加するって……別に、他意はないよ。君のところからは見える? 満月。……見えない。惜しいよね、折角満月なのに。……雲隠れ。(すうっと手を翳し、指と指の間から見えない月を覗き見る。目を閉じる)ああ、でも見えるよ。赤い月。笑ってる……それとも怒ってるのかな。ねえ、どっちだと思う? ……そう、君には見えないんだ、赤い月。真っ赤に熟れた果実のような……。じゃあ、君のところからは何が見える? ……綺麗な夜景。星の光を映したような……そして、青い月。羨ましいね、幸せの色だ。……そう、メーテルリンク。けど可哀想だね、君も“彼”も。青い鳥を閉じ込めても、幸せは手に入らないのに。女神はやっぱりこの世界を見棄てたんだ。正義と天文を司る女神、アストライア。彼女は人間のあまりに酷い堕落っぷりに失望して星になってしまった……それが乙女座。そして彼女が投げ出した天秤が、天秤座。……ねえ、いつからだっけ。いつからそんな風になっちゃったんだっけ。……半年前。

僕)私ね、あの人が帰ってくるのを待っていたの。私の絵を描いてくれるって言っていたから……。だから、家の中で待っていたの。でも、帰ってきたあの人はすごく機嫌が悪そうだった。だから 私、帰ろうとしたの。そういうときはそっとしておいた方がいいって分かってたから。だけどそれが逆に気に障ったらしくて、帰るなって怒鳴られた。私、それでびっくりして描きかけの絵を倒しちゃったの。そしたら今度は、私の身体がキャンパスになっちゃったみたい。いつも、同じような色で。赤と青のイマージュ……あの人は私をそう呼ぶけど……痛いよ。すごく痛い。最初はホントに死ぬかと思った。だけど死ななかった。死ねなかった。こんなに痛くて苦しいのに、どうして死なないんだろう。私はね、今でも生きてるっていうのがすごく不思議なの。変な感じがする。ホントはこれは夢なんじゃないかって思うの。毎日がふわふわしてて、亡霊にでもなった気分。周りの景色がね、前と全然違うの。生きてる実感がわかないっていうか……でもね、痛いの。すごく痛くて……死にそうなくらいに痛いときは、逆に生きてるっていう感じがする。だからね、今は、痛いのもそんなに嫌じゃないんだ。寧ろ……ううん、何でもない。ごめんね、変な話しちゃって。じゃあね。

僕)“彼女”はどうして僕に話をするんだろう。僕のことが好きっていう訳でもない筈なのに。分かってる。分かってるよ……。“彼女”は“彼”のモノなんだ。それは理解しているつもり。だから、単に話したいだけなんだろうね。王様の耳はロバの耳……って? ということは“彼女”にとっての僕も、ただのモノみたいなものなのかな。ストレスの捌け口。だとしたら、“彼女”の気持ちも少しだけ分かるかもしれない……。僕にとっての “彼女”。“彼女”にとっての“彼”。どうしても離れられないんだ。だって……好き、だから。君にも分かるかな? この気持ち。相手の役に立ちたいっていう気持ち。相手の為なら何でもしてあげたいっていう気持ち。だからといって、相手の心が手に入る訳じゃないんだけど……相手の心が自分から離れていくのが怖いんだ。嫌なんだ。だから今でもこんなモノで繋ぎ止めてる。ごめん……ごめんね? 僕はこんな風にしか君を愛せないんだ。ごめんね……。

”音”、鳴る。

僕)ああ、雨が降ってきたね……。窓に映る景色は滲んでいく……夜の街も沈んでいく……ねぇ、そこ雨漏りしてない? ……ホントに? (笑う)嘘つき。ねぇ、綺麗だよね……君は今どんなカッコしてる? 赤と青のイマージュ。君は籠の中から逃げ出せないように翼をもがれたんだっけ? 違う、歩けないように脚を切られたんだっけ。可哀想に。可哀想に……君の想いは報われない。君の想いは伝わらない。可哀想な人魚姫。だって“彼”は君のことが見えていない。君のことを愛してなんかいない。だからいくら待っても無駄なのに。無駄なのに。無駄なのに。無駄、無駄、無駄……! どうして……どうして君は僕のことを見てくれないの……どうして!

落雷。暗転。
やがてゆっくりと明転する。

僕)花が咲いている。綺麗に綺麗に咲いている。“彼女”は死んでしまった。だけど悲しむことはない。だって君は僕で、僕は君なんだから!

波が押し寄せてくる。もう抗う術はない。水に委ねられた身体はゆっくりと沈み、朽ち果ててゆく。

※イマージュ→マリアージュ

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