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術後、頭すら動かすことができません

全身麻酔で寝ている間に手術は終わりました。12時間もオペしていた自覚は全くありません。

「ルパン三世 カリオストロの城」の夢を見る

翌日の昼に目覚めるまで30時間くらい意識はなかったのですが、何故か夢の中で「ルパン三世 カリオストロの城」を3回見たことを覚えています。

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大好きな映画ではありますが、まさか夢の中で見るとは思いもしませんでした。それも、3回も(笑)ちなみに上の写真は、去年パシフィコ横浜で行われたシネマ・コンサートのパンフから拝借しました。

お腹の切創に激痛が走る

さて、目覚めはしましたが動けません。両手は拘束されていたので動かないのは当たり前ですが、上半身を動かそうとすると、

「痛い」

寝返りなどできません。お臍の上を縦に7㎝ほど切開したところが、動こうとすると痛くて動けません。上半身どころか、頭を動かそうとしただけで激痛が走ります。

局所麻酔薬を注射するために背中から脊髄を包む膜(硬膜)の外側(硬膜外腔)にポリエチレンの細いチューブを留置する「硬膜外麻酔」カテーテル(エピと言うらしい)を僕はやりませんでした。

エピがあると術後にも継続して痛みを鎮める(術後鎮痛)ことができます。しかし、主治医は慎重な性格で抗がん剤治療中にCVに血栓ができたので、エピでも血栓の出来るリスクの回避を優先してエピを留置しなかったようです。

余談ですが、この処置は一般的ではないようで、術後の回診の時に他の医師が「エピなしで(手術が)できるもんなんだ」と感心していました。

痛みに耐えて起き上がる

本来なら、エピから局所麻酔薬を注射して痛みを抑えて動きやすいようにするのでしょうが、僕の場合は出来ません。

それでも、痛いからと言って動かさない訳にはいかない様です。詳しい理由は忘れましたが、術後に体位交換を数時間おきに行うことで合併症のリスクを回避して回復が早くなるとのことでした。

自力では、体位交換など出来ません。それで、看護師が二人掛かりで、「イチ、ニのサン」と右に左に体を傾けます。傾ける前に、傾ける方向にスペースを作るために体を平行移動させます。これが、お腹の傷に響いて痛いの何のって、堪りません。その痛みが治まらない内に追い打ちを掛けるように、傾けます。思わず、叫んでしまうほどの痛みです。

上半身の動きに腹筋が関わっていることが良く分かりました。ただ、お臍の上のみ切っていたからか、下半身は自由に動かせます。なので、自転車漕ぎは疲れない範囲でやっていました。

天使の笑顔で悪魔の指示

夕方には、早くもベッドで端座位(ベッドに腰掛ける)になる練習をしました(させられたと言った方が正確ですが)。これは、まず起き上がらなくてはなりません。看護師が手伝ってくれるのですが、タイミングを合わせないと、とてつもなく痛い。合わせても痛いのですが、まだましです。

ようやくのことで端座位になると、看護師は笑顔で「じゃ、立ってみましょうか」と恐ろしい事を言います。立てるのかなぁ、と思いつつ、看護師の肩を借りてお腹の傷に響かない様に恐る恐る立ち上がります。

何とか立てますが、ふらつきます。体幹を腹筋が支えられないので、ピンッと立つことができません。立ったところで、看護師は「じゃ、次は足踏みしてみましょう」と更なる試練を課してきます。

「悪魔か!」と心の中で叫びました。

寝ている状態では足は自由に動かせたので、何とかなるだろうとは思いましたが、バランスを取るのが難しい。ヨタヨタと足踏みを数回するのがやっとです。

また、端座位に戻ります。ここから、横になるのがまた試練です。起き上がるよりも寝る時の方が腹筋に力が入ります。その分、傷に響きます。低侵襲の手術とは言っても、身体を切り刻んでいることに変わりはありません。

術後がこんなにも厳しいとは、想定外でした。抗がん剤治療の副作用の何倍も辛かったです。少なくとも、抗がん剤治療は痛くありません。痛みに弱い僕は、「こんなに痛いんだったら、手術なんてするんじゃなかった」と、この頃は後悔していました。

人間とは、全く勝手なものです(僕だけかも知れませんが)。


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