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CancerX Story 〜板橋奈美編〜

CancerXメンバーがリレー方式で綴る「CancerX Story」
第12回はCancerX共同代表理事の板橋 奈美です。
 


私のキャンサーストーリー

「奈美ちゃんは、まだ小さいから分からないよね」
5歳の時、祖母ががんで亡くなった。
柔らかな笑顔の祖母が大好きで、もうその笑顔に逢えないことは理解でき、お葬式で誰よりも号泣したのを今でも覚えている。

母はそのとき、まだ34歳だった。
黄緑色の冷蔵庫を背もたれにして座り、読んでもいない本を膝に抱え静かに泣いている姿をその後よく目にした。

そんな母も、47歳の時に乳がんに罹患。手術するも、50歳でリンパ節に転移。その後抗がん剤治療で落ち着くも、55歳の時には肺・骨へ。我慢強く病院嫌いな母は呼吸が浅いことをひた隠しにし、手術をしても取り切れないほど水が溜まっていた(2リットル以上)。その入院で体力がかなり落ちたが、退院後どうしても電車に乗って出かけたいとお願いされた。二人とも大好きなドリカムのコンサートが日本武道館であり、帰りはタクシーで帰るよと約束をして出かけた。
「生きる」ことを強く意識した母の想いを感じた。
しかし、その2ヶ月後、56歳で他界。
祖母と同じように亡くなる前日まで家で過ごせたのは、せめてもの救いだった。

私は28歳だった。
仕事に行く朝、鏡の前でメイクをしていると母の面影と声が脳裏をよぎり、涙が止まらない日々がしばらく続いた。
母の部屋を片付けたとき、飲んでいなかった大量の薬と「生きる」をテーマにした新聞記事の切り抜きを見つけ、母に本質的に寄り添い切れなかったことを悔いた。

実家で父と共に生活する中、母がなぜこの人と結婚したのかという理由がなんとなく体感でき始めたのも束の間。
私が31歳のある春の休日、父が突然家で倒れた。平静を装いながらも震える手で救急車を呼び、待つあいだに心臓マッサージや着替えの準備をするも、そのまま還らぬ人となった。大動脈解離だった。
実感の湧かないまま、周囲に助けられつつ喪主を務め、あらゆる事務手続きを終え、一息ついた頃から激しい喪失感に襲われ続けた。

一人になった。
思い出の詰まった4LDKに一人で暮らすのは、正直耐えられなかった。

CancerXに参加したきっかけ


両親の他界後、今周囲で関わってくれている人々は両親が育ててくれた私へのプレゼントだという感謝の念を抱けるようになり、大切な人との別れを自分の中に取り込みつつ、なんとか日々を過ごしていた。
3年半後の母の命日。
あるFacebookの投稿が目にとまった。大学時代からの友人である半澤絵里奈が、がんに関するイベント告知をしていた。

両親への想いと大学時代に文化祭実行委員会で培ったイベント企画スキルが活かせると、すぐに絵里奈にメッセージをし、2019年2月のイベントに向けお手伝いをすることになった。

手塩にかけて育ててくれた両親への感謝を示すには、「世の中になんらかの形で貢献したい」というふんわりした想いを持ちながら生きていた私の琴線に触れ、一歩を踏み出した瞬間だった。

CancerX Summit2019実施前夜(筆者2列目中央)


今後の展望


CancerXに参加してからは、自身の得意分野であるイベント運営での関わりを続けていた。魅力的で多様なメンバーが、全員本業を持ちながら活動にコミットしているのを肌で感じ、自身のコンフォートゾーンから出たくてうずうずしていた。
2019年当初、CancerXの活動を会社に申請したがリジェクトされ「みなし社員」として活動していたが、2023年に再申請をしたら時代の変化もあってか、兼業申請が承認された。ようやく「社員」となり、昨年度から戦略/人事、セッションの企画など幅を広げた関わりを行なえるようになった。
今年は、セッションのモデレーター、秋には昭和大学リカレントカレッジの講師など公に話すのは少し苦手だが、勉強しつつ周りに助けられつつも、挑戦する年にしていく。

二人に一人はがんになる時代。
CancerXに関わってから遺伝要因のがんは5-10%とそこまで確率は高くないことは知ったものの、自分自身もいつか罹るという不安を抱えつつ、「がんになっても自分らしく人生を送ることをあたりまえにする*」世の中をみなで創っていきたい。
CancerXメンバーのみならず、関わるステークホルダーを少しずつ増やしながら、家族の立場/非医療者の立場として何ができるかを考え続け、波紋を広げていきたい。

限りある人生。
私自身をはじめ一人でも多くの人が、「自分らしく生きる」ことができるように。

*Cancer Agendaの「6」をご参照ください。 



プロフィール 


板橋 奈美 Nami Itahashi


KDDI株式会社/CPCC(ライフコーチ)

2007年~:KDDI株式会社勤務。プロモーション/ビジネス開発/データサイエンティストを経て、現在マーケティング職。
2015年:ジャカルタのNPO団体にてマーケティング支援(留職)
2017年:コーチングライセンス取得(CPCC)
余暇:映画/舞台鑑賞・旅・日本酒・和菓子・ファスティング・筋トレはじめ体を動かすこと全般。
 

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