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#3 空色の猫 歌詞レビュー

ガーネットクロウの中村さんが作曲、AZUKI七さんが作詞、編曲が古井さんとガーネットのメンバー総動員で「岩田さゆり」さんに提供した「空色の猫」という楽曲の歌詞レビューです。

かなり偏ったレビューですのでお読みになる方は
そのつもりでお読み下さい。
しかもある種の人達しか本意はご理解頂けないかもしれないことを
あらかじめお断りしておきます。

実はこの「空色の猫」の歌詞の初読みで感じたのは
「あ、ヴァンパイアの歌だ」でした。
ヴァンパイアと言ってもコウモリのお化けに変身する化け物の方ではなく、
萩尾先生の名作漫画「ポーの一族」に出てくる、はからずも不死の一族になってしまい永遠の時を生きる少年の方です。

どこか他人と違うことを自覚していて、他の人と同じように装うのに
それでも気づかれてしまう。
人は無意識に異質なものを排除しようとする。

なにげない一言、何気ない仕草。。。
それがどれほどその人間を傷つけるか決して気づかないまま。

自分が自分であることを隠さないですむ、
そんな時を夢見て、そんな相手との出会いを夢見て生きていく。
異質な自分を覆い隠してくれる時と場所。
それは大都会かもしれないし、祭りの日かもしれない。
一般的でないことが普通の世界。音楽やアートの世界かもしれない。

神様がいて、神様が人を生み出したとしたのなら
なぜ自分のような存在を産み落としたのか?

普通の人のようにただ祈れば救いがあると信じている人達は幸せです。
夜の帳が降りて、真実だと信じているものがすべて覆い隠されてしまうまで
懲りもせずにただ祈っていれば良いのですから。

祈ることで心の中の傷跡が捨てられるとしても
自分はきっとまた同じ苦しみを背負って生きていくのだろう。
それが自分の生き方だから。

異質なものを持った人間を「空色の猫」に例え、
その空色という変わった毛色を覆い隠す晴れた青空を
大都会やアーティストの世界に例えているのかもしれません。
そして、この「空色の猫」はもしかしたら七さん自身なのではないかと思ってしまいます。

たぶんほとんどの人が、ただそこにいるだけで畏怖や嫌悪の目で見られた事なんてないでしょう。
それがどれほどその人間を傷つけるかなんてわからないでしょう。
だから「傷ついた分だけ 優しさを知るはず」なんて気軽に言えるのです。
そうだと自分に言い聞かせていても決して心からそう思っていないからこそ、
七さんはこの言葉を歌詞では疑問符?で終わらせています。

自分が自分らしくして生きられる場所が、仮面を被って普通の人の振りをしなくても良い場所がこの世界にはきっとあるはず。この世界はそれほど狭くないのだからと自分に言い聞かせます。

でも辿り着くのは結局一人になれる自然(海)しかないのです。
決して無いだろうけれど、もしかしたらと淡い期待を抱かせる言葉で
この歌は終わっています。

「空色の猫」は悲しいヴァンパイアであり、同性愛者の人達であり、ジェンダーバイアスでありどこか普通の社会に馴染めない人のシンボルであり、七さん自身なのかもしれません。
いわゆる普通の人の仮面を被って生活する事がどれほど神経をつかい、
どれほど精神に負担をかけるのか決して普通の人が理解することは出来ないでしょう。

七さんはこの詞を、あえて明るい曲調の曲にのせ、
あえて「空色の猫」というメルヘンチックな素材にのせ、
あえて岩田さゆりさんというアイドル?に提供したのは
その二つがこの詞の持つ本質を優しくオブラートで包んでくれると
包んで欲しいという、七さん流の照れ隠しだったのかもしれません。

このバックボーンがあるからこそ、あの東洋思想や哲学への傾倒であり、たどりつく達観のような気がします。
それでもどこか人間を信じ、この世界を信じてしまうところが七さんをかろうじて人間の位置に留めていてくれて(笑)、だからこそ名作が生まれるのでしょうね。

とは言え、本当にそうかは七さん本人しか知りませんけどね、(笑)

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