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大切な人をそばで看取れなくても

先日、大好きな父の命日なので帰省してきた。
私は父の最期をそばで看取ることが出来なかった。

倒れたと聞いて駆け付けた病院で、
すでに亡くなっていることを警察の方から聞いて知った。

それまでは倒れて処置してると思ってたから
「え!?お父さん死んじゃったんですか!?」
って言った私を見る警察の方の申し訳なさそうな表情は忘れられない。

母から倒れたって連絡もらった時にはすでに亡くなってたんだって。
「何で伝えてくれなかったんだ!私がお父さん大好きなの知ってるのに!何で隠してたんだ!」って母を責めた。

私が住んでる所から病院まで、車で1時間30分程かかる。
まだ幼い子供達連れて運転してくる私が、気が動転して運転危なくないようにあえて言わなかったんだとそこで聞いた。
でもその時の私は、理解できなかった。

父は私が高校の時に脳の病気で倒れて、半身マヒになったんだ。
リハビリのおかげで杖をついて歩けるようになり、車も半身で運転可能な改造をしたから出かけるのが好きな父はよく出掛けてた。

その後透析にも通うようになり、亡くなった日も透析の日だった。

透析に向かうために家を出たんだろうね、
車庫の中の車中で倒れてるのを発見された。

警察の方の予想は「(シャッターが車出すには中途半端な状態だったことから)車庫を開けてる途中で具合悪くなり、休むため一旦車に乗りそのまま…だったんではないか」とのことだった。

それを聞いた時に
「道路で倒れなくて良かった」と安心と同時に
「苦しまなかったかな?1人でさみしくなかったかな?」って思ってきて
病院の中で人の目も気にせず泣いた。

実家にはもともと頻繁に遊びに行ってたのに、その頃はしばらく行けて無かった。父から「遊びに来ないか」ってメールもらってたのに。
もっとこうしていればって自分自身を責めた。
うまく息が吸えなかった。

母と妹が泣いてても
「父に優しくなかったじゃん!こんな時だけ泣かないでよ」
嘘の涙だと思った。

連れて帰る処置をしてもらい帰る時、袋にドサっと入れられた父の服や荷物を他の家族には渡したくなくて私が受け取った。

実家に向かう車中声をあげて泣いた。

実家に帰ってからも、
忙しい中、手伝いに駆けつけてくれた親戚や近所の人が楽しそうに話して笑ってる姿さえ受け入れられなかった。
心から悲しんでる人はいないんだと思った。

そんなこときっと無いのにね。
その時の私は大好きな父との突然の別れを受け止められずに全て否定的に捉えてた。
心が押しぶされそうだった。

その日のノートは、泣きながら書き出した
看取れなかった後悔・もっと会いに来てれば良かったという後悔と謝罪。
大好きな父への言葉が書きなぐられてる。

家族の誰もが死に目に会えなかった。
でも、父のことを想って過ごしたことも看取りになるのかなとノートを書いていたおかげで少しずつ思えるようになった。

いまだに後悔は出てくる。
特に父の亡くなった時期は心がぐらつきやすい。
その度にノートに想いを書き出してる。

大切な人との別れの後悔や傷は完全に無くなることは無いのかもしれない。私は無くなってない。

でも、大切な人を想って過ごす時間、私の場合はノートに想いを書き出したり父との思い出を思い返したりして過ごす事で、穏やかに付き合っていけるようになるのかなと思ってるよ。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます❣

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